<< AAS chronicle1996-2000

宇宙開発事業団・国際高等研究所 委託研究

「宇宙への芸術的アプローチ」
Artistic Approaches to Space

研究趣旨

1996

 

危機的状況に近づきつつある地球環境の観測と、人類の未来の宇宙生活を射程に入れた諸々の科学的研究を目的としたJEMの打ち上げは、新たな宇宙時代の節目を告げるものである。人類の本格的な宇宙開発を前に、宇宙空間というまったく新しい環境が、生身の人間におよぼす影響を検討することは、きわめて重要な課題である。実際に宇宙を体験した人々の何人かが、その後の生き方をまったく変えてしまったように、宇宙体験が、人生観や世界観のみならず、意識以前の感情や感覚など、人間の根本的な生存の基盤に作用するとすれば、宇宙という環境においても、芸術活動の意義や可能性が考えられねばならない。なぜなら芸術は、太古から現代に至るまで、この生存の基盤に結び付き、人間の創造性や好奇心、夢や不安と密接に関わりながら、人間とその環境の精神的・感覚的関係を支え、表現してきたからである。

しかしながら、これまでの芸術が、地球環境固有の光や重力の状態によって、またそこで生を営む人間のあり方によって規定されてきたのも事実である。したがって、地上とはまったく異なる宇宙空間での芸術の可能性を研究することは、人間の宇宙活動の精神的基盤に寄与するだけでなく、芸術そのものの成り立ちと人間存在の本質をかつてない角度から検証することでもあるだろう。このことが、芸術という観点からの宇宙へのアプローチが持つ根本的な意義にほかならない。

以上のことをふまえ、第一に、次のような基本問題を検討する必要がある。

[1]芸術の存立条件および宇宙空間における芸術の意義と可能性:
重力や宇宙イメージとの関係を軸に、従来の芸術の概念や機能、歴史を検証し、また芸術のパラダイム変換の可能性を検討する。

[2]宇宙空間における感覚とリアリティの変容:
微小重力環境や閉鎖的な人工空間、宇宙や地球のヴィジョンが、人間の視覚や聴覚、身体感覚、形態や空間の感覚、現実認識等におよぼす影響、また新しい共生のモラルのあり方を検討する。

これらの問題は、新たな空間感覚やヴァーチャル・リアリティによる造形や音楽、あるいはさらに宇宙という環境での新たな「人間」の形成と「芸術」の発生のシミュレーションにも結びつくだろう。

第二に、それと関連して、JEMないし近未来の有人宇宙ステーションの利用を射程に入れた具体的な芸術プロジェクトとして、次のようないくつかの次元が検討されるだろう。

[1]宇宙滞在時の人間を対象とした芸術:
過剰なストレスを癒すヒーリング・ミュージックやヴァーチャル・アート、情報芸術、宇宙での生活環境構成要素とその配置モデルの美学的研究など。

[2]宇宙環境固有の物性や素材による造形や音楽:
宇宙線、宇宙音、宇宙のゴミ(不要人工物)、あるいは宇宙空間で開発された物質の芸術的利用、JEMの運動を生かした音や映像の表現など。

[3]宇宙と地球の関係を軸とした芸術表現:
(1)地球から宇宙へ、(2)宇宙から地球へ、(3)宇宙から宇宙へ、(4)地球から地球へ、という四つの方向における芸術的コミュニケーションの方法と可能性。例えば、人工衛星を利用した宇宙と地上とのヴィジョンの交換、写真等を利用した宇宙旅行の表現や宇宙観光の芸術的シミュレーションなど。
古代より宇宙を見上げることが地上の自己を知ることであったように、この次元でのあらゆる芸術的コミュニケーションは、地球および宇宙における人類の位置についての省察とメッセージが含まれるだろう。

第三に、時間軸をさらに大きくとって、地上的発想とはまったく異なる未来の芸術モデルの可能性についても検討を始めるべきかもしれない。なぜなら、宇宙時代は、これまでの地球文明とは異なる人間のあり方を示唆するからである。

このような芸術的プロジェクトの実現可能性がどのようなものであれ、「宇宙への芸術的アプローチ」の研究プロセスは、必然的に従来の民族や文化的枠組みを越えた芸術やコミュニケーションのあり方を示唆するだろう。またこうした研究は、従来以上に芸術と科学の交流を要求し、異質な知と感性の交換や、創造活動の新たな領域形成を促進すると思われる。むろん、その前提として、複数の芸術家と科学者の共同作業の方法、科学的データや研究成果などの利用上のモラル等について検討することが必要である。だが、そのことも、これからの宇宙時代における人間の生存を考えるために重要な作業であろう。

1996年3月7日
京都市立芸術大学
「宇宙への芸術的アプローチ」研究グループ



参加メンバー
(1996年11月20日)

福嶋敬恭

美術学部教授/彫刻

野村 仁 美術学部教授/彫刻
小清水漸 美術学部教授/彫刻
松井紫朗 美術学部講師/彫刻
中井恒夫 美術学部教授/構想設計
砥綿正之 美術学部講師/構想設計
池上俊郎 美術学部教授/環境デザイン
堀口豊太 美術学部助教授/環境デザイン
向井吾一 美術学部教授/視覚デザイン
小山格平 美術学部助教授/プロダクトデザイン
塚田 章 美術学部助教授/プロダクトデザイン
高橋成子 美術学部教授/心理学
藤原隆雄 美術学部教授/宇宙物理学
井上明彦 美術学部助教授/造形計画
大串健吾 音楽学部教授/音響心理学
中川 真 音楽学部助教授/音楽学


*本研究は、財団法人・国際高等研究所による宇宙開発事業団委託事業「JEM(日本実験モジュール)の人文社会的利用に係わる調査研究」の一環として、同研究所から研究委託されたものである。