井上:まず、宇宙環境利用センター長の吉冨進先生にお話しいただきたいと思います。
われわれ芸術・デザインの立場から、宇宙環境について いろんなアプローチを試みました。中間発表の形ではありますが、具体的にお目にかけるのは今日が初めてだと思います。
ご覧になって、ご感想なりを自由にお話しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。
吉冨:私自身、そんなに芸術に深い造詣があるわけじゃないんで感想というのもおこがましいんですが、
印象だけ述べさせていただきたいと思います。 今日は京都らしい寒さの中でこういう機会を設けていただきまして本当にありがとうございました。 京都は、市立芸大の先生方とこういうことをやってますし、東京では東京芸大の先生方といろんな可能性を議論しながら…。
われわれ工学系の人間は、ひとつひとつものが積み上がってできていくんですけど、 芸術の世界というのは、話しているだけですぐ何かができてくるわけではなくて、
ある日突然ボッと成果が出てくるという意味では、いちばん最初に井口先生のメッセージにもありましたとおり、 われわれは1+1は2でしかないですけども、こういう世界ではいろんな広がりがあるんだなというのをすごく感じました。
最後の福嶋先生の「心の場」というんですか、ああいう世界というのは、 先生が「目を閉じれば宇宙を感じれるよ」というふうに仰ったんですけども、
究極的には道具を使わなくても目を閉じれば宇宙は感じれますけども、 ああいう違った空間で宇宙を感じることもできます。 そういうイマジネーションの世界というのは無限にひろがるんだなというのを、
あの「心の場」を見て感じることができました。
それと、もうひとつ印象的だったのは、松井先生の「宇宙庭」なんですけども、 あれを見て思ったのは、全然芸術とは関係ないんですけど、 いまわれわれが別の形で宇宙の可能性を議論している中に、
日清食品と宇宙ラーメンというのをやってるんですね。 あの発想が、宇宙の庭の発想とある意味ではすごく似てる。 要は、われわれが日清食品と宇宙ラーメンといってやっているのは、日本人の宇宙飛行士が
「やっぱ、ラーメン食べたいと思うよね」というところから、 日清の会長さんが「ぜひラーメンを宇宙へ持って行きたい」と。 その究極のいま試作している形が、ふつう地上ですと丼の中に入っているラーメンしかないんですが、
ちゃんと宇宙の無重力空間で食べられる、ひとくちサイズで汁が飛び散らない、そういう形のものなんですね。 試作品を以前見せてもらったことがあるんですけど、宇宙の庭の形がまさしく、
ラーメンの発想とこれとは同じなんだということをすごく感じました。 そういう意味で、ひじょうにわれわれのイマジネーションをかき立ててもらえるし、
われわれ技術屋では絶対に発想できないようなことがひとつひとついろんな形で生まれて来てるんだな 、というのを、強く今日感じることができました。
本当にありがとうございました。 また、この共同研究は来年の3月でとりあえず区切りということで、3年の区切りはつけますけども、 こういう活動というのは継続してやって行かなきゃいけないなというふうに思ってますので、
このあとどうするかは、また先生方とご相談させていただきたいと思います。
それともうひとつ。 きょう何回か、航空機の中で無重力体験、20秒ぐらいで、これ、 日本でも名古屋でダイアモンドエアサービスという会社がサービスをやっています。
いままでは、この飛行機の体験は、いわゆる工学屋の研究用で、 われわれのお金でファンドをしてフライトの機会を設けてました。 こんど来年から、そういう機会を科学屋さんとか技術屋さんだけでなく、
広い分野の人達にも開放しようというふうにいま考えてます。 具体的に公募はいつからというのは、たぶん来年のどっかから始めると思いますけども、
そのさい、もしいいアイデアがあれば、ぜひ応募いただいて、皆さんも体験していただければと思いますので、 よろしくお願いします。 とりとめのない話になりましたが、今日の感想にさせていただきました。
井上:ありがとうございました。
次に星出宇宙飛行士にお話をうかがいたいと思います。来ていきなりいろんなことを体験していただいたり、 また自ら進んでいろいろ体験していただいたのは、
さすが宇宙飛行士だなあと思って拝見していました。さきほどの「心の場」は、いちばん強烈な体験だったのではないかと思いますが、まずそのご感想あたりからお聞かせいただけたらと思います。
星出:宇宙飛行士という人種はもともと技術的な実験・研究を目的として選ばれたわけですけど、
そういう意味では芸術の分野には造詣の深くない目から見て、 今日体験させていただいたことをお話ししたいと思います。
まず、「心の場」ですけども、ひじょうに贅沢な時間を過ごさせていただきました。 ありがとうございました。いちばん最初に入るときに、やはり丸みを帯びた形で継ぎ目がないということで、
一瞬上下左右がわからなくなるわけですよね。 それこそ、私まだ体験してませんが、宇宙における無重力の状態であろうと思います。 実際に宇宙でああいう場を提供していただいて、われわれの個人の場として、
自分の時間を持てる場所として使うこともできるでしょうし、 また逆に地上でもああいう場を使って無重力を疑似体験できるのではないかと…。 とくに、発光塗料の関係だと思うんですけども、遠近感がなくなるんですよね。
だから、あれ?どこが壁なんだろう? というのがすごくわかりにくい中で、しかもチェロの音が中で反響して、すごいいい音で聞こえてましたので、 地上のアプリケーションという意味でも可能性があるものではないかと思いました。
他のものも体験させていただきましたが、プレゼンテーションの中からいくつかお話ししたいと思います。 「宇宙の庭」で植物が出てきましたけれども、
無機質な宇宙ステーションの中で植物がある、ないというのはすごく大きなことでして、 宇宙飛行士の心理的な影響というのがあります。 例えばロシアの宇宙ステーションミールの中で麦の栽培をしたんですけども、
実際に宇宙飛行士が麦を栽培する、 自ら水をあげたりなんかするというふれあいを通してストレスが下がったというデータもあります。 そういう意味で、見る、あるいは自分が手をかけるということで、
相手が生きているものであるというのは、すごく大きなことなのではないかと思いました。
それから、「手にとる宇宙」ですけど、じつは私、宇宙飛行士になって、学生時代の友達なんかにたまに会うと、 「宇宙に行ったら月の石でも持ってきてくれよ」と言われるんですが、
「悪いな、月にはまだ行けない」という話で、 「じゃあ、代わりに宇宙の真空でも持って帰ってきてやるよ」 と言ってたんですよね。 まさにそのコンセプトだと思うんです。そういう意味で、無なんですが、
それが実際に宇宙で採取してきた無であるというのは、すごくおもしろい発想じゃないかと思います。
あと、先ほどあそこでゆったりとした気分にさせていただきましたフトンですね。 その場でもお話しし、ましたが、実際に宇宙空間で宇宙飛行士が寝るときには、
寝袋に入って、プカプカ浮かないようにどっかに止めておくか、 ベッドのような、寝台列車の箱のようなところに入るという形で、 どっか飛んでってしまわないようにしてありますが、
宇宙飛行士によっては頭が枕で反作用がないと寝にくいという人もいるようです。 その場合はどうするかというと、頭をベルクロで、ストラップで押さえつけるということをして寝ていると…。
先ほどのフトンは、もうすでにそこも入って設計されているので、 あれをそのまま持っていくと、そういう宇宙飛行士には喜ばれるんじゃないかと思いました。
あと、追加させていただくと、 これまで私自身が考えたことというか、体験したことに話をふくらませていただきますが、 われわれ4期生の宇宙飛行士は、選抜の最後の試験で、7日間閉ざされた空間の中に閉じこめられて
共同生活しなさいという試験がありました。そのときの閉鎖環境設備の中にいて私がひじょうに印象に残っているのがひとつあります。 それは、音なんですね。
音がまったく無機質というか、計画された音しか聞こえない。 ファンの音であったり、お互いが意図的に話をしている音しか聞こえない。 で、ものすごくアーティフィシャルな感じがしたんですね。
ふと、いわゆる人混みの雑踏の音だとか、車が通る音、ラジオの垂れ流しの音とか、 そういった生活の音がないことに一瞬すごく恐怖に似たような感覚を覚えたことがあります。
そのあたりも、今後取り入れていただけると、BGVとかBGMじゃないですけども、 環境音楽とかじゃないですけども、そういうのもあるのかなと。
それから、それに関連して、私SFテレビでスタートレックというのがすごく好きなんですが、 その中で出てくるホロデッキというものがありまして。
それは何かというと、ひとつの部屋があります。その中にいろんなホログラムが投影できる、 例えば、シミュレーションなんかもできるんでしょうけど、
たいていは物語の主人公とか登場人物になって実際に戦ったりドラマに出たりというのを疑似体験する。 先ほどの「心の場」でも、映像がもし投影できるようになれば、それに近いことができるんじゃないかなと思いました。
ホロデッキというのは、スタートレックの中ではある意味娯楽ですね。 宇宙飛行士の娯楽設備、あるいは心理的なストレスを発散するための設備ということでありますので、
そういうところにも役に立つんじゃないかなと思いました。
最後に、芸術の可能性というのは、芸術側の発展性というのは宇宙にもすごく可能性はあるのかなと思うのですが、 同時に宇宙飛行士からすると、 仕事・仕事で追われている無機質な空間に憩いの場を提供していただくことができるんじゃないかと。
自分が宇宙ステーションに実際に行って、週1日半の余暇の時間をどうやって過ごすかなと思ったときに、 アクティブな過ごし方とパッシブな過ごし方があるのかなと。
で、パッシブなものというのは、例えばCDを聴いたり本を読んだり映画を見たりという形だろうと思います。 それだけを半年やってると、たぶん飽きちゃいますね。
それに対してアクティブな過ごし方というのは、たとえばギターを弾いたり何か芸術作品を作ったりという、 何かを作り上げていく、自らのスキルを成長させていく、そういったことに通ずるんだと思いますが、
その両方のバランスがあるといいのかなと。 芸術の分野でも、見て楽しむというのと同時に、何か宇宙飛行士側もクリエイトさせていただけると、 お互いにいいものができあがっていくんじゃないかな、と思いました。
井上:ありがとうございました。福嶋先生、星出飛行士の感想を聞いて、何かお話しがありましたらお願いします。
福嶋:いちばん最後のことだけなんですが、クリエイティブな仕事、アクティブな仕事ということで、
何かを作りたい、作ったほうがいい。 たしかにその通りなんですが、何かを持って行って作るということは実際に可能ですか?
星出:そうですね(笑)。そのあたりはJAXA側も頭をひねらなきゃいけないところだと思いますが、危険のない範囲で、例えば何か積木じゃないですけども、
そういったものを持って行かせていただいてそれを作るとか、 あるいは、今後どうなるかわからないんですけど、リアルタイムで、例えば 「ちょっとこういうものを作ってみた」とか、
「そういうものができるんだったら、こういうことをやってもらえないか?」 というのを下から先生方に指示をいただいて、 「あ、じゃあ、そういうことやってみましょうか」という、
そういうやりとりができると、 リアルタイムで芸術を作り上げていくことができるんじゃないかと思いました。
福嶋:以前に僕は、楕円体のおもちゃのようなものを作ったんですね。 全体が楕円体なんですがそれが7つに分解する、表面が三角形、四角形、五角形、六角形という
7つに分解できる形を作ったんです。 積み木のようなものです。 それをひとつにまとめると卵形の楕円体になる。 それをパッと離すと、宇宙空間の中に形が分解していくというふうなものです。
昨年 NASA に行ったときに、宇宙飛行士の皆さんにお会いしましたが、そのとき野口さんに表面に何も書かないでそれをお渡ししたんです。野口さんに
自由に表面に絵を描いてくださいといって。 というのは、たとえば、元の形は考えたんだけど、表面を宇宙飛行士のかたが描かれることによって、 また自分の世界がひろがって、それを使って空間の中に色や形が浮かんでいくというのを想定したんです。
ですから、われわれがやるのも、考えてその通りやって下さいという意味ではなくて、たいがいの場合は共作ですね。 共同制作というのがいちばん効果があるというふうに思っているんです。
押しつけで「こう」というのはいちばんよくないことで、やはり共同作業をしないとものが進みません。 そんなふうに考えているんです。 そういう意味で、いま言われた、自分で作ってみたいというのは当然な欲望だし、
してもらわないと面白くないですね。
井上:ありがとうございました。次に松井先生に「宇宙庭」のことをお話いただきます。 僕もいっしょに研究させていただいていますが、先ほど吉冨先生の方から、ラーメンと同じ発想のようだ、というお話がありました。どうでしょうか?
松井:「庭」に関していうと、庭を作るということの視点が、 僕個人あるいは井上さんと僕たちの話の中でできているだけのことなのか、
それともいろんな人のもう少したくさんのものなのか、 あるいは日本人の特質なのか、 あるいはもっとインターナショナルなものなのかという、 そういう視点というのはつねに僕らも気になることですし、
アーティストならみんな持っていることだと思うんですね。 そういう意味で、庭というモチーフは、それが作品かどうか、あるいはアートかどうかというより、
庭を作るという営為そのものの問題について、 いろんな人がそれをきっかけに話が始まるのがすごく面白いことなんじゃないかなというふうに、 僕はずうっと関わりながら考えていたんです。
その庭作りが、象徴的に、すごく高いところで、誰の領分でもない宇宙、 もう誰かの領分になっているのかもしれないけれど、 そういう宇宙で行われている、みんながそれを注目している。
そのことがすごく意義あることなんじゃないかな、というふうに感じます。
吉冨:あの苔玉を見て僕が感じたのは、あれは地球そのものじゃないかな?というふうに思ったんですよね。
ひじょうに凝集された地球そのもの、まさしく地球そのものが生きてる。 それがああいう形に宇宙ステーションの中にあるということは、いろいろ考えさせられるし、
いま星出さんが言ったようにいわゆるなごみの元にもなる。 ひじょうに意味が深いなというのを、あれを見てすごく感じたんですけど。
松井:今日も来てますけど、留学生が、僕が作っているのを見ていて、ちょうど同じことを言いました。
「先生は新しいプラネットを作ってますね」というふうに言ってたんです。 「あ、そうか」と思わせる面白い言い方でした。
井上:ありがとうございました。 この「宇宙への芸術的アプローチ」の研究の目標が、 宇宙飛行士の方たちのリラクセイション(気晴らし)の工夫というレベルにとどまっていては意味がないと僕たちは考えています。
吉冨先生がおっしゃったように、現在は、宇宙開発や宇宙環境利用そのものも、たとえば材料実験や工学的研究それ自体を目標にするだけでは、 すんなりOKにならない時代です。
もうイラクへの自衛隊派遣もほぼ決まったし、地球上、どこにも逃げ場がない時代に入って来ました。 日本人はお気楽ですから、その辺のリアルな感覚ってなかなか持てないですが、
本当に敏感に人にとってはたいへんな時代だと感じられているはずです。それはもう、科学がこれまでのように自己目的ではありえない時代、 つまり宇宙へ行くということが、同時に地球のいろんなことを根本的に考え直すことと結びついていないといけない時代だと思います。そういった中で大量のお金を使って、星出さんのような優秀で好奇心も旺盛な方たちが宇宙に行って活動されるわけです。
僕らにしても、例えば宇宙だと変わった造形ができる、とかいうことだけでは意味がないだろう。それに関わらせていただく中で、いろんな発見をして、それをふまえて提案や実験をしていくことが大事だと考えました。
たとえば、重力というのは万能接着剤で、何でもくっつけるということ。 この当たり前の事実を再発見することで、松井先生の「庭」もそうですし、 「ライナスの毛布」もそうでしたが、
人間の経験というのが本当は何で支えられているのかというようなことを、 初めてリアルに考えていくようになりました。 逆に言うと、地上で僕らがやっている芸術活動とか文化的なものも、
ぜんぶ根本に立ち戻ってチェックしていけるような新しいモノサシが、いま目の前にあるんではないのかと。
ただ、それを観念的にどうのこうのと言うことはわれわれの仕事でないので、宇宙飛行士の方たちのいろんな好奇心やご意見に助けられながら、ひとつひとつ具体的な検証を進めていっている最中です。
もし、これまでのことで何かご発言があれば…。 なければ、会場の方からいろんな質問とかご感想とかをお聞きしたいと思います。宇宙飛行士のかたが京都芸大へ来られるというのは、ひょっとしたらもうないかもしれません。ひじょうに得がたい機会だと思います。アートに関わってる人たちは、きっといろいろ訊きたいこともたくさんあると思いますので、何でも質問していただけたらと思います。
もちろんそうでない方もぜひご質問をどうぞ。 |