微小重力環境の「ライナスの毛布」 -Security Blanket-
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Appendix
[ 資料 1 ]
(2001年度AAS研究報告書より該当部分の抜粋)
微小重力体験飛行における実験 2001年 11月15日 (*)

A. フリースペースを利用して行った実験
フリースペースを利用した実験は身体感覚の体験を中心に計画し、フリーの状態での浮遊と、いくつかの単純な道具と身体行為の組み合わせによる浮遊の比較を行った。
道具を使用したものはそれぞれにフリーの状態で浮遊するのとは違った身体感覚のおもしろさがあり、またこうした行為自体無邪気に楽しいものでもあった。

A-1「弛緩のポーズ」
この実験は特別な道具を用いないで、「ただ浮遊する状態」を体験しようとしたもので、道具と身体行為の組み合わせによる他の実験との比較上重要なものだったが、弛緩の姿勢をとることは予想以上に難しくうまく体験することができなかった。実施者にとって初回のパラボリックフライトでの実施であったこともあり、微小重力状態の時間的制約(約20sec.)の感覚がつかみきれなかったことや、不馴れもあった。
mg_nbp
A-2「ひもに絡まる」
微小重力下でのものと身体の動きの違いとその関わりを見るために行なった実験であるが、安全性を考えて用意したヒモ(スチレンフォーム製)自体の質量が小さいため、動きによるかたちの変化が乏しかった。
また被験者にとってはじめてのμG体験であったため、身体を弛緩状態に保って自由な浮遊状態を維持することが困難であった。
mg_2s
A-3「段ボール箱に乗り込んで」
段ボール箱の内壁に足や下半身を押し付け踏ん張れることは、意外にも安心感と結びついた感覚があった。安心感は微小重力状態への移行時、微小重力時それぞれに感じることができるが、特に移行時の印象は強かった。
また、至近距離に体を接するものとともに浮遊することは、フリーの状態での浮遊に比べ、主観的な身体軸に引きずられ、客観的な上下関係を探ろうとするジレンマを放棄する感覚もあった。
mg_1s
A-4「大きなゴム風船を抱え込んで」
μG状態の視覚的なプレゼンテーションの方法として、身体と風船を同じ浮遊状態に置くことを目的に実験を行なった。上昇時の約2Gの重力にたえきれず、思わずしゃがみ込んだ姿勢から微小重力に移行した。 ボールにしがみつき体を預けられることは、「段ボールに乗り込んで」と共通する安心感と結びついた感覚があった。
また、身体軸や上下関係に対する感覚についても「段ボールに乗り込んで」と共通する。
mg_3s



[ 資料 2 ]
(2002年度AAS研究報告書より該当部分の抜粋)
向井宇宙飛行士インタビュー (*)

向井:無重力でプカプカ浮いているのは,短い間は楽しいんだけど,長期に続けると自分がどこにboundされているかわからなくなる。リファレンスがなんだかわからなくなっちゃう。服なんかも,重さがあるから体にくっついているんですよ。これが体にくっつかないから,自分はどこにもくっついていない。このあいだ講演でSecurity Blanketの話をしたんだけど,子供が気に入った毛布をぎゅっと抱きしめたり,洗濯すると乾くのをじっと待っていたり,テディベアを抱きしめて寝てるあいだも離さないという現象があるでしょ。あれは,ぎゅっと抱くことによって,おたがい反作用があるわけ。それ,すごく安心感があるの。

井上:それμGで実感しました。ミールで宇宙飛行士が乗り物に乗って遊んでいたんですよ。僕も風船でやってみたんです。何も持たないときと風船に抱きついたときと比べてみたんです。ものすごく安定なんですよ。軸がどうなっているかわかる。

向井:あれは自分の体の中が,そこの表面をリファレンスにしているから。それで,自分の場所がどこにあるかというのをわかろうとしているんですよ。だから,長期にいると不安定なんですよ。すべてリファレンスをなくしちゃうから。フィードバックがないから。自分がさわったら,かならずフィードバックがあるでしょ。ところがプカプカ浮いてると洋服すらさわれない。足で地面を踏んでると自分の体重を足で感じるでしょ。下から反作用が来るでしょ。そういうものがないから,自分がどこにも属していない。 adjacent world 知覚の世界とコネクトしてない。だから不安なんです。だと,私は分析しているんです。精神科医が言ってるわけじゃなくて。だから,重い布団かけると寝られるでしょ。おんなじ。

井上:阪大の臨床哲学の人たちと話したんですが、人間の不安というのは何かというと,つながりを切られること。何にもつながっていないことほど恐ろしいものはない。話かけても返事が返ってこないのもそうですが,自分の存在が不安になるのは,さわったときにさわり返してくれない。触覚がなくなるとものすごく不安になる。あと,ものを見ていて,見えていると安心しているのは,ものが僕を見ていてくれる,そういうリアリティがあるから自分がいる。自分がいるというリアリティがなかったら,ものが見えない。

向井:絶対そう。リファレンスをなくすること。自分が存在するフィードバックがわからなくなっちゃうこと。


[ 資料 3-1 ]
(2003年10月18日 向井宇宙飛行士の東京芸大講演より該当部分の抜粋)
Security Blanket

Security Blanket:
1)Security Blanketは、人に保護されているという感覚を与える何かである。
2)よく子供が好きな毛布やぬいぐるみを抱いていると、それをずっと手放さないことがある。
3)こういう毛布やぬいぐるみは、子供たちに守られているという感覚を与える。
4)一言で言えば、それを抱きしめているとき、子供は安全で快適だと感じるのである。
5)身体への軽い圧力は、人に孤独を感じさせず、隣接する世界(adjacent world)に包まれ、つながっていると感じさせるのだ。

それと精神心理的なことでもう一つ私が面白いなと思ったことは、Security Blanketという感覚があるんです。それはどういうことかというと、無重力でふわふわ浮いているのは面白いでしょってみなさんいうんですが、長時間無重力で浮いているとやっぱりすごく不安定になると思います。
なぜかっていうと、私たちは例えば「心のよりどころ」って言う言葉をよく使いますね。私たちが心のよりどころをなくしたとき、なにかレファレンス、基準点ををなくしたときっていうのはものすごく不安感が出てくる。ですから、宇宙でふわふわ浮いてるっていうのは、短時間だと面白いんですが、身体がどこかにくっついていないというのはすごく不安なんですね。
これを解釈して考えてみると、よく子供がわあわあ泣いているときに、お母さんが抱っこしてこうやったり、ギューッと抱きしめてあげますね。皮膚を通して自分が包まれている、ということがわかると子供は安心して眠るようになる。それと同じで、宇宙にいると、自分の身体に触ってるものがないわけですね。ぴったりした洋服を着ていれば触っています。例えばこういう上着なんかを着ていると、上着が身体を触っていると身体も上着を触っている。でも宇宙だとフワッとずれてきて、身体に何かいつも触っているものがないんです。
重い布団じゃないと眠れないという人がいますが、宇宙だと重い布団も軽い布団もないんです。身体がゴムか何かでギュウッと締めつけられるっていうか、そういう感覚が宇宙ではありません。そういう意味で私は、長時間宇宙を飛んでいるときには心理的・精神的なものが問題になってくるんですが、そういうときにSecurity Blanketっていうんですか、非常に身体に何か触っているものがない、それが一つの問題ではないかと思います。



[ 資料 3-2 ]
(2003年10月18日 向井宇宙飛行士の東京芸大講演より該当部分の抜粋)
宇宙酔いについて/レファレンスの不在/すべては相対的

(シャトル内を移動する宇宙飛行士の映像)こんなふうに狭い空間を通って広い空間に出るんですが、こういうトンネルを通っていると上下が分かるんです。ところが広い空間に出ると突然なにか上下が分からなくなる感覚が来て、それがあの宇宙酔いの原因なんですね。
というのは私たちの姿勢を制御している感覚っていうのは、目で見た感覚と耳の奥にある耳石、それと膝の腱南下から来る情報の固有のレセプターがあるんですが、そういうので調節しているんですが、こういう広い空間に入っていくと、いろんな人がてんでバラバラにいて、天井に足を引っかけてぶら下がって仕事している人もいるし、私は床のフットループに足を引っかけて仕事している。こういう広い空間だと目で見て天井だと思うものが天井だと思えなくなってしまう、それで感覚が混乱してきて気持ち悪くなる。こういうことを使って感覚に関する研究なんかをするんですね。
この図がそれをまとめたものなんですが、身体のあちこちから来た感覚情報を脳のコンピュータでプロセスしてそれを身体の末梢に信号を出していくわけです。先ほど言ったように、宇宙だとちょうど水の中に浮かんでいるような姿勢になっちゃうんですね。地球上だと自分の身体を使って大地を押していける。ですから大地の反作用が自分の身体を押してくれる。だからまっすぐ立ってるし、こういう水のコップをちゃんとここに置けるんですね。でも宇宙だと何かに触ってて、例えばこの机を押せば机の方もこっちを押すので、フワフワ浮いていってしまう。で極端なことを言えば、例えば私がコンピュータを操作するときに、身体を固定しないでコンピュータが固定されていると、コンピュータを押せばコンピュータが私を押したことになるから、私は離れていってしまうし、こんなちっちゃなネジを外そうとしても、ネジが固定されていて自分のからだが固定されていなければ、自分がネジを回しているつもりがネジが自分を回していて、身体は回るけどネジは回っていない、そういう状態もあるわけです。

はじめて私がKC135で放物線飛行を体験したときに、すべてのものが相対的ということ、押せば向こうも押す、回せば回されてしまう、ということを実感しました。私たちは三次元の世界に住んでいると思っていたわけですね。でもそれは本当の意味ではせいぜいこの高さの誤差範囲でいえるだけです。われわれは重力があるためにみんな共通の床を持っているわけですよね。今ここにこうしてお集まりのみなさんは、この同じ床を共有しているわけです。そうすると、身長の高さの差ぐらいはあるかもしれない、あるいは座っていたり立っていたりするときの差はあるけれども、そこら辺を誤差範囲に入れてしまうと、地球上っていうか重力のある世界で生活しているかぎり、それは平面で生活しているのと同じようなものじゃないかと思いました。
無重力の世界に行ってしまうと自由度が一つ増える。同じ床を共有の床としてみんながシェアしないから、私はこの床を床として使うでしょうし、他の人は空中に浮かんでいたりする。そういう意味で私は本当に空間を三次元的に感じました。そこではその、絶対的なものはないと、押せば押してくるし、回せば回される。ふつうは何か基準というものがあって物事が進んでいきます。例えばおいしいとかおいしくない、美しいとかそうでないというのも、何らかの基準を自分たちが持っていて、このものに比べるとこの水は冷たい、この水はおいしい、あるいは彼女は美人といいますが、それは誰かと比べて美人っていうふうに何か基準があるわけで、地球上に住んでいると、みんな共有の基準をある程度持っているわけです。宇宙に行ってしまうとそういう基準がてんでバラバラになってしまうので、そういう意味で何かこう、絶対的なものがなくなってしまうような、そんな感じがしました。
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