FreeFactory_topimg 井上明彦資料室 自由工場記録集のページへ戻る 自由工場記録集のページへ戻る

その1 ホコリ高き美女

天使の眼で輝くダストプリント

井上明彦の『天使の眼』で輝くしばたゆりの『ダストプリント』→

○月×日 ラジオの生番組で僕たちが自主運営している自由工場を取材したいというので、しばたゆりちゃんと僕で応対。
「空いたスペースが工場になるんですけど、いやー、このビルも今年いっぱいの命やし、終わりを知るということが人間を自由にするんですねー」、 などと答えるその声は、ビルじゅうに鳴り響いていたらしい。

○月×日 昨日の生放送の件でテナントのレストラン・Uボートのママさんからきつーいお叱り。「今年いっぱいで終わりなんて、私らはまだ承知しとらん。営業妨害で訴えるで!」。
立ち退き交渉がうまくいってないのだ。1時間近く立ちっ放しで怒られる。とほほ・・・。

○月×日 僕の《天使の眼》の池に浮かべていた花が腐ってきたので、新しいのに取り替える。
薄暗い中でごそごそやってると、ゆりちゃんが掃除機を持ってやってくる。
彼女は事あるごとに埃を収集し、アマニ油で練ってインクを作る。それでダストプリントと呼ぶモノタイプを刷るのだ。
場所やイベントの性質によって色合いや混入物が変わり、ビルの時間と空間がそのつど紙の表面に刻印される。
「私はメデュウム」といいながら、彼女はビルが壊れるまで作り続け、最後には全部を本のように綴じ込むという。
この埃版画を知ってから、画廊で見るどんな版画も退屈に見えるのはなぜだろう。

○月×日 深夜、地下の雀荘のママさんがやってきて、ダストプリントをほしいという。
破格の値段で交渉成立。意外と趣味がいいなと思っての店の中をのぞいてみると、うわわっ…。

その2 引き算アート

天使の眼で輝くダストプリント

小石原剛『大供めくり』
1994年12月9日現在で5040日目

○月×日 また一つテナントが出ていく。ビルからテナントが引き算されると、自由工場が膨らむ。 引き算が終了すると、全部が工場になってビル解体が始まる。
そういえば、ここではよく引き算でモノを作る。「天使の眼」も床のP-タイルをはがして作った。初めの頃、はがしていると隣室の会社員からよく咳払いされたが、それもすぐ引き算されて聞こえなくなった。

○月×日 6階の床のP-タイル全部を40数人の工員で剥がす"OFF THE FLOOR"。
黒、黄、灰色のパターンが生まれては消え、ビルができた当初をしのばせる空間が出現。
この大供(だいく)ビルのオープンは、1971年11月25日。
同じ日付の古新聞の料理欄に載っていたコンニャクと豚肉のいり煮を記事通りに作って、打ち上げパーティー。

○月×日 ビルの誕生日を祝う祭典バースダイクで究極の引き算アートが登場。 名付けて「大供めくり」。ビル誕生から今日まで8395日あるが、それと同数の紙を束ねて片方の端を串刺しにし、65cmほどの厚さの日めくりを作る。来た人が上から順番に数字を書き、破ってはまわりの壁や天井に貼り付けていく。
これが爆発的にヒット。口コミで知った高校生たちが毎日のようにやってきてバリッ、ベタベタ。
もはや作者の手を離れて数字の書かれた紙が次々と重なり、新しい壁が増殖していく。
同時に、破れ残った紙が串の部分に美しい断層をもった立体を形成していく。
作者の名は小石原剛さん。気鋭の若手画家である彼は、僕の子供が通う小学校のPTA会長さんでもある。

その3 ヒーコとビューティ

天使の眼で輝くダストプリント

非常階段で制作中のヒーコ(手前)
とビューティ

○月×日 音楽家・藤本由紀夫さんの「屋上の耳」を設置。
藤本さんは、2月に自由工場で講演と演奏をして、岡山でも多くの女性ファンを作る一方、工場のコンセプトを気に入り、 工員になって作品を無料提供してくれたのだ。京都からやってきた藤本ファンの学生たちと「耳」を屋上に固定。岡山の街が音の塊になる。 1年後のビル解体のとき、落下する耳は何を聴くか。

○月×日 最上階の階段スペースで、ヒーコこと樋口よう子嬢の壁塗りの手伝い。
彼女は画廊での形式的展示に飽き足りず、もっとリアルな表現の場を求めて大阪から泊りがけでやってきた。
僕の「天使の眼」から引用した黄色と黒で壁と床を塗り分け、双方の境い目をずらすと空間がグラリと傾く。階段に航空機事故の機長の言葉、「ああ、終わりだ、終わりだ」。 軽いめまいの中、壁高く飾られた床タイルが鈍く光る。

○月×日 今日はうっかり「蝋時計」のランプをつけ忘れた。
あれは工場にいる時間だけランプをともすと、電球の熱で蝋がタラリと落ちて、鐘乳石のような不思議な形に時間がオブジェ化されていくのだ。
はじめは神秘的成長を予想したが、工場に入りびたっている工員の時計はやたらムクムクとでかい。
でも溶けた蝋とランプの光を見ていると時間を忘れる。
作者のビューティ宮川こと宮川直子嬢は、また列車に乗り遅れて大阪に帰らなかった。

○月×日 ヒーコがまたやってきてきた。今度は屋外の非常階段を4色に塗分ける。
螺旋の形をDNAに見立てて発癌情報を忍び込ませたとか。うっかり踏みそう。

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その4 P-タイルの旅

天使の眼で輝くダストプリント

鹿児島・西田橋の上のPタイル(南川珠美撮影)

○月×日 成安造形大の真部剛一君が6階のはがしたP-タイルをごっそり京都に運び出す。 ビルの空間を移送するというコンセプトで、西陣の染色工場跡の床にP-タイルを敷きつめるのだ。
自由工場の作品は場所と関わりながら作られるので、物理的にも意味の上でも動かせないものが多い。それとは逆に本来動かない床タイルがあちこち動くのが面白い。あ、そういや、藤浩志さんが持ち込んだ木のヤセ犬も、ビルの中をうろうろして小便してるな。

○月×日 木の造形作家・南川茂樹さんはいつも美人の珠美夫人といっしょ。珠美さん自身も彫刻家で、藤浩志さんと同じく鹿児島出身。
ちょうど展覧会のため帰郷するのを利用して、P-タイルを鹿児島に持っていった。自由工場のある大供ビルと同じく取り壊される予定の古い橋の上に置いてみるという。
南国の光の下で橋とビルの二つの運命が重なるわけだ。

○月×日 楽団「FFクラブ」、6階でデビュー。ジョン・ケージばりの図形楽譜で各自の演奏時間を決め、
僕が携帯蓄音機を皿回し、ゆりちゃんが空間に張ったワイヤーを弦代わりに弾き、
小石原剛さんが手作り打楽器「大供ベル」を鳴らし、江川チャンこと江川まゆみ嬢が
事務局の留守番電話のテープ「もしもし…」を流す。独立した4つのパートのしぶいシンクロに笑い泣きする人も。

○月×日 江川チャンの企画で森下明彦さんらの実験映画を見る。
大学でベルグソン哲学を専攻した江川チャンは大の映画好き。
事務局の柱だった彼女も正月からロンドンに留学。P-タイルを持って行かへんかな。「物質と記憶」やで。

その5 忙中、楽あり

天使の眼で輝くダストプリント

映画看板に堂々と貼られたBirth大供のイベントステッカー (難波直彦作)

○月×日 忙しい、忙しい。 つい先日、自由工場通信を作ったと思ったら、今度はビル誕生祭のポスターとパンフのデザインだ。岡大生にデザインを教えたのに全然役に立たん。内緒で使ってる大学の印刷機も調子悪いしなー。うわー、もう夜中やー。

○月×日 岡山県立大学の難波(吉原)直彦先生が得意のシルクスクリーンで作った自由工場特製ステッカーを、工場から駅までの路上に貼り歩く。
難波先生、ゆりちゃん、江川チャン、石原勝彦君、僕の5人。
はじめ遠慮がちに、やがて堂々と貼り紙禁止の表示の上に貼りつける。
夕闇迫る中、久しぶりの不法行為に胸ワクワクの国公立大学の教官二人。 ええんかいなー。

○月×日 深夜、ドリルで壁に穴をあけ、工員の人たちからもらった水道の蛇口をあちこちに取り付ける。
とにかく例の水不足というのは、人間のせいなのだ。
この不在の水のささやかなモニュメントは、"Think/Sink"と名づけている。

○月×日 秋に藤浩志さんと一緒にアートフォーラムをやってくれたシンガポールのリー・ウェンから手紙が来る。
彼は全身を黄色く塗ってパフォーマンスをする。オルタナティヴ・スペースで活動する日本のアーティストたちと
交流展をしたい、助成金を申請するので協力してくれとのこと。すぐOKの返事。

○月×日 イノウエミカコさんが「おかしい、おかしい」と騒いでいる。ビルの天井に絵を描いたが、
写真に撮ってみると左右逆になるというのだ。見上げる絵を見下ろすのだから当たり前やんかと言っても納得しない。
困ったことに、彼女は僕の奥さんなのだ。

その6 自由工場、煙にもどる

天使の眼で輝くダストプリント

この消え行く大供ビルが占める青空の分量は?

○月×日 工場なのだから製品を作ろう!というわけで、工員が開発した製品をKim君らが徹夜でディスプレイ。作品をプリントしたTシャツ、ビルの中から集めた埃や錆や音、焼き物、廃材を使った音具…。
ここでしかできないものを、工場のモットー=愛とユーモアで加工、販売する。
僕は電球と植木鉢と屋上のアスファルトで、電気文明を考える「天使の芽」を製造したが、どれも岡山では売れんやろな。

○月×日 小埜君が営む自由農場の野菜が鳥に襲われた。放っとくからよと、カネちゃんが笑っている。

1月17日 神戸で大地震発生。何か人間のすべてが試されているようだ。阪神の工員は無事だろうか。

○月×日 1階、4階、7階のテナントが出ていった。オフィスに置き去りにされた物品は、どれも想像力を刺激する。山積みのパソコン、事務机、意味不明の用語が並ぶ業界誌、額入りの訓辞、営業マンの反省文…。 小学生作家のココ石原がその4階で初個展。
僕は捨てられていたロッカーを画廊に改造、一つずつ分譲することにした。
その名も「がろう街」と名付けたその物件、工員の石原勝彦君の大阪での個展に賃貸する予定である。

○月×日 ビルのオーナー側の事情で、工場も3月末で閉鎖が決定。
解体まで使いたかったのに残念だ。で、3月18日から工場最後のアートイベントをする。
岡山だけでなく、関西の工員もやってきて、あちこちで現場制作やパフォーマンス、映画祭やシンポジウムをする。
僕は「時間のレッスン」をする。最後はビューティ宮川の蝋時計を燃やして大パーティだ。

◎『ぴあ関西版』美術欄
(1995/1/14〜3/28)に連載

執筆:井上明彦


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*古いものこそネット上のアーカイブにふさわしい気がするので掲載しておきます。


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