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ヒューストン・インタビュー[3]
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向井:でも視神経は交差しているから。基本的には、そうねー、例えばこういうふうに外の物を片目で見ている場合には、片側の視野にしか入ってこないけど、頭の中に出てくる自分の視野というのは、狭くなっちゃうんじゃなくて、同じ視野になっているから、やっぱりこの視野の中のどこかだと思うんですよ。視野の半分は全然なくて、こっち側だけという見方はどうも。外の景色が目に入ってきてもそうなように、放射線っていうのは自分の視神経のところに入ってくるから、たぶん片目だろうと両目だろうと、こういう視野の中のどこかに作用が現われる。まあ、こっちかあっち、っていうのはあるかもしれないけど。

井上:今の話を続きですけど、ご専門ですからちょっとお尋ねしたいんですけど、地上で目をつぶったときの広がりの感覚は、視野を越えて広がりますけど、宇宙に行ったら違ってくるんでしょうか。それとも同じような感じなんでしょうか。

向井:いやー、そういう観点から見ていなかったから、本当にどれくらいその差があるかはわからないんですけど、感覚的には同じですね。

土井:違和感はなかったから、同じだと思います。

井上:宇宙で目を開けているときの視野の広がりっていうのも、地上と同じなんでしょうか。

向井:宇宙に行っちゃうと、上下の自由度、完全な三次元の自由度が一つ増えるので、私がふつうこうやって立って見えているところのこの視野より、身長が高い人が見ている視野になる。

土井:僕は面白い経験をした。視野はダイナミックなんですね。というのは、いわゆる地上では重力があるので、下は下と認識するんだけど、宇宙ではそれがないでしょ。スペースシャトルは一応床と天井があるので、それで自分で強制的に上と下を認識してますけどね。ところが物を横に投げるでしょ。すると、僕たちはもう地上で慣らされているから、落ちて行く方向が下に見えるんですよね。それでやると、視野が90度バーンと回転するんですよ。物を上から下に投げると、バーンと180度逆回転する、そういう経験がありましたね。そういう意味で、視野っていうのはときどき前触れもなくバーンと回転する。何回も経験しましたね。

福嶋:そういう視野の考え方は、例えば土井さん外に出られましたよね、それとスペースシャトルの中にいるのと違うんですか。

土井:モノを見た感じは、特に違和感を感じなかったですから、外も中も同じだったと思います。つまり、視界が広がるかということですよね。それも同じだったと思います。

若田:私の場合は、特に遠近感が変わるとかいう宇宙飛行士がいたんですね。1回目のフライトは人工衛星を2つ回収するミッションだったので、宇宙に行くと視力が低下するという人もいるし、遠近感がちょっとなくなるという話も聞いていたので、本当にそうなのかな、実際に自分でも試してみたんですね。直接目視というか、窓から外を、人工衛星が来ているのをロボットカメラで見るというのも遠近感が大切なんで。カメラで見ている映像が地球上のシミュレータと同じかどうかということも含めて、全部自分で測ってみたんですね。あと、実際に人工衛星つかまえる前に、スペースシャトルの貨物室の中をずっと見渡して、地上で見るのと遠近感が同じか、自分でかなり厳密に、見え方のちがいがあるかどうかを確かめてみたんですけど、私はまったく変わらなかったですね。遠近感も、本当に地球上と同じだと思いました。

向井:主観的に感じる範囲では、たぶんそんなに変わらないですよね。何か厳密に眼科的な精密機器を持って行って調べてみると、違いがあるとかないとかサイエンティフィックに言えるかもしれないけど、普通の感覚からいくと、そう変わらないですね。

土井:人間の体は、無重力に行くとどんどん適応していくわけですね。それで、適応する前だと、何かそういう違和感が出ているかもしれないですね。そのときはあまり気持ちが良くないです。

向井:適応前の気持ち悪さが影響して感じ方が変わってくるっていうのはあるかもしれないけど、そのもの自体が変わってくるっていうのは、たぶん、そうはわからない。サブジェクティブには。

井上:前に土井さんに絵を描いていただきましたが、スケッチブックの紙って地上だと四角いじゃないですか。長いあいだ宇宙生活を営むときに、絵心のある人だったら絵を描いたら気持ちも落ち着きますから。

土井:絵を描くのは、いいですよ。

井上:ですよね。だから地上と同じ四角がいいのか、こういう円形スケッチブックみたいなものを開発して、使ってもらった方がいいのか、どのように思われますか。丸くて上下左右のないスケッチブックを使って絵を描いてみるというのは。

土井:そうですねえ、僕は四角で描いていて、まったく違和感なかったですね。

向井:宇宙にも地球と同じ生活環境を持って行ってますよね。違うのは重力がないだけですから。ですから、例えば、宇宙に行ったら四角い引出しが丸くなっちゃうわけじゃない。地球の一つのエクステンションという形になる。重力だけですね、変わるのは。

土井:四角いスケッチブックというのは地上を描くためのもの。水平線とか。木は縦になるし。だから直線を基準にできてますよね、描きやすいから。でも、宇宙だと、地球は丸いから、地平線が楕円だから、うーん、よく考えるとね、そういう意味ではスケッチブックは丸みを帯びていてもいいかな。たしかにそうかもしれないですね。

若田:逆に三次元的なスケッチブックみたいなものが可能であれば、その中に入って描けるようなものがあってもいいですね。上下もないし、そういうふうに見えるわけですから。そういう感覚で、例えば相撲のシコをやったときも、やっぱり相撲の土俵みたいなのは球形にならざるをえないですね。野球場でもね。やっぱり球というのが基本ですね。
例えば先ほどのお庭の話で、ちょっと考えてみたんですけど、やっぱり「きぼう」の中全部を庭にはできないと思うんです。ただ、じゃ、どういうかたちがいいか。植物、やっぱり緑があると心が休まりますね。植木鉢みたいのはどうかと考えると、やっぱり宇宙では0Gですから、球が基本なんですね。だから球みたいな所で全部に生えるような、そういう植木鉢みたいなのも面白い。やっぱり絵を描くにしても平面ということにこだわらないで、球とかその内側とかいうコンセプトも使えるような感じしますね。

福嶋:ちょっと話が横にずれますけど、今、球の話が出ましたが、今度僕らが実験する保管庫の中にいれるものを具体的に作ってみようというので、僕は楕円体を選んだんです。なぜ球を選ばなかったと言うと、実際に自分で球体を作ってみたんです。それから楕円体そのものも自分の手で具体的に作ってみたんです。何を感じたかというと、球体を作っているときは頭が非常に硬くなって、一生懸命、とにかく同じようにすれば成り立つんですよね。だからあんまり広がりがないんですね。楕円体は短径と長径が違うもので、自分なりに選ぶことができるんですよね。図式的には、どっちかがちょっと長くなるだけだから、そんなに難しいことないんですが、具体的に作ろう、きれいに作ろうとすると、手が斜めに動かないと。球は同じように動いているんですね。楕円体だとその動き方が揺れるんです。斜めに行こうしてずれてくるんです、手の感覚そのものが。そうすると楕円体っていうのは、非常に単純なんですが、複雑なことを引きだす。僕が知らないだけでみんな知ってることかもしれませんが、例えばそんな形状が人に与える影響というのが非常にあるんだと思います。それで人をどんな物に入れたらいいのかといったときに、球体の中に入れてしまうと、本当に部屋が四角と感じるとの同じだと思うんですよ。距離が一緒なので、カーブが全部一緒なんですね。

若田:緊張するんですね。

福嶋:そうです、緊張感がある。だからあまり面白くない、余裕のない空間。それが少しずれると全然違った世界になる。そんなことを形を作りながら、簡単ですけど体験できたんです。そういうことが人に対して非常に幅のある作用をするんじゃないのかなと思いますね。

若田:いや、それは面白いですね。気が付かなかったです。

福嶋:形の中の何が人を引き付けるのか、よくはわからないけど、考えたらそういうものだったかもしれないということですね。

井上:おそらく球体のスケッチブックだったら、そのうち退屈するかもしれないですね。

若田:なるほどね。完璧すぎるんですね。

井上:ですから今のも結局、宇宙飛行士の方が体験されているいろんなことの中に、人間にとって本当に普遍的な、それこそいいものというか、人間の活動をより促すものとそうじゃないものというのが、やっぱりあると思うんですね。宇宙飛行士の方は、それ全部に触れていかれているような気がするんです。それは芸術に関わる僕らの問題そのものでもあると思うんです。

向井:先生、私、前から疑問に思っていたことで、美的な感覚とかゆとりを人に与えるという意味で、造園が――ヨーロッパの造園と日本の造園は違いますよね――ヨーロッパのは非常に幾何学的で、ものすごくパターン化していますね。ああいうのを美しいと感じる人と、例えば日本の何だかよくわからない、山水画に出てくるみたいな、ああいうものの中に美しさを感じるというのは、あれはどこが違うんですか?

福嶋:僕らみんな日本人ですから(笑)、片方しかわからんですね。

向井:私たちから見ると、ああいう幾何学的なものは初めきれいなんだけど、先生がおっしゃるように、飽きちゃうような気がするんですよね。先が読めるから。

井上:それですよ、先が読めるということ。つまり全体が先にあって、それで部分を決めて行くでしょ。全体の秩序が支配しているんですよ。

向井:でも彼らはそれが心地いいんでしょう。

井上:心地いいんでしょうね。

向井:だから先が読めて、それが彼らに安定感を与えて、心の安らぎみたくなるんでしょうね。

福嶋:やっぱりすべてが理解できるからなんでしょうね。

井上:やっぱり先ほど言われた自然観の違いだと思いますよ。たえず自然をコントロールしてやっていかないといけないということ。

向井:そこだけでも違う気がしますね。何が美しいか、何が人に心地よさを与えるのかが違う。話がずれちゃうんですけど、アメリカに温泉があるんですよね。ところがアメリカの温泉というのは面白いことに、ドイツのクアハウスみたいな感じで、あなたこの温泉に何分入りなさい、こっちの人は何分と決められていて、治療法みたいのがある。日本みたいに好き勝手に、お酒でも持って入ってもいいというふうにならないんですね。こちら辺の人はほっぽかされると不安、どうすればいいのか不安感がある。われわれだと、温泉には勝手に好きなときにお酒でも持って入って、好きなだけ入っているという方が心地いいんですが。そこら辺のアプローチも何か違うんじゃないかと思うんですね。

井上:ただ、この前ラジオで、アメリカ在住の日本人が日本風の温泉を作って、爆発的にヒットしているという話を聞きました(笑)。だから最近は結構、西洋人の人たちも、単なるエキゾチシズムではなくて、東洋のそういう楽しみ方とも交わってがきているんじゃないかと思うんですけど。

福嶋:西洋の人っていうのは、自然を駆逐というか、許容はしなくて、相手があくまでも人ですよね。個人に対する人。日本人もそれはあるんですが、総合的には自然と同じ位置関係を持とうとしているところがありますから、たぶんそれが庭の形態に出てくるんじゃないかな。

向井:アプローチが全然違いますよね。

野村:日本のは実際に歩いてみる庭ですからね。お経を読んだ後に、実際にその人が庭をずーっと歩きながらお経を反芻するとか、実際に行程が徐々に変化していくことが、どちらかというと狙われている。

井上:あんまり全体が一挙に見えることを気にしてないですよね。立ち現れ消えて行くプロセスそのものが楽しいわけで、全体がじゃあどうなんだと言われても、「え?」っていう感じで、そこが日本人の感じ方だと思うんです。絵にもずっと表れていますし。

向井:絵にも表れてますか?

井上:絵の中にもそれは出てきますね。遠近法で焦点をバチッと決めてしまう西洋の絵画と、日本の「洛中洛外」なんか典型的ですけど、焦点が多数あるんですね。視点が分散するというか動くというか。あれもやっぱり人間と自然との関係にすごく根差している気がしますね。

池上:東洋的なとらえ方をするか、西洋的な合理主義にもとづくか。日本的な庭だと、さっき「回遊」って言ってましたけど、池とか、人の視線の変化とか、そのストラクチャーの組み方を変えているわけですよ。だからインフラストラクチャーとして規範になるような軸の組立を、自然とかわれわれの行動に乗せるのか、それとも全体の構造に乗せるのか、の違いだと思うんですよね。

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