「時間のレッスン」制作ノート Notes on "Lessons of Time, 1993"


作為の極大と極小を並存させること。
N氏の蒐集品配列の既存ロジックを読み取り、複写、変換、増幅すること。
個人の統一的な意図の所産としての<作品>からの離脱。
<個展>という近代的形式からのエクソダス。
芸術家、コレクター、批評家、研究者、学芸員、デザイナーなどという近代的職域の錯乱状態。
その錯乱と断念の中で、鏡を磨く。
残存を図る者たちの野心と執着でくもった時間の鏡を。

時間の鐘は万物を等しく映しだす。
一人の老コレクターのもとに残された事物を織り合わせ、
その不均質・不統ーな布地で、くもった時間の鏡を磨けば何が映るか。
残りたがるゲイジュツの乱反射 ?
残り時間を数えるブンメイの乱反射 ?
いや、<価値>なるものの源泉のほの暗い光景?
少なくとも今しばらくぼくがこの地上にいて、
万物と共に時間のプールに浸っている光景?

ヒトの意図の内側で残されるモノ。
ヒトの意図の外側で残ってしまうモノ。
文化財と産業廃棄物、
消滅する自由を奪われたものと
湮滅を図られるもの、
残したいものと残したくないものは、
全面的博物館化(muséographisation généralisée)*へとかう
この死の文明の両極ではないのか。


* Remo Guidieri, “Chronique du neutre et de l'auréole: Sur le musée et ses fétiches", La Difference, 1992, p.92


プロセス

  • 1992年8月 アートスペース虹(京都)の熊谷寿美子氏より「時の器」と題したシリーズの展賞会を依頼される
  • 1992年8-9月 渡欧、ドイツ、フランスをまわる
  • 1992年11月 渡米、ニューヨークのアジア・ソサエティにて国際シンポジウム「アジアの現代美術J に出席、発表
  • 1992年12月1日 倉敷市児島の難波産業旧メリヤス工場にて小野和則氏のアトリエ開き。難波道弘氏に出会う
  • 1992年12月中旬 難波道弘氏の蒐集品および工場内外の残留物を寓意的レディメイドとして構成する展覧会を着想
  • 1992年12月20日 浜松にて「仮想の展覧会J シンポジウム出席(濱坂渉氏『Visual Field』誌主催)
  • 1992年12月26日 難波道弘氏に展覧会への協力を打診、快諾を得る
  • 1993年1月中旬 展覧会を「時間のレッスン」と命名
  • 1993年1月22日 難波氏宅にて作業開始。膨大な蒐集品ほかを手当たり次第にスケッチしつつ構想を練る。
  • 1993年1〜3月 毎週1、2度難波氏宅で作業。意味とイメージのたえざる生成と崩壊
  • 1993年3月5日 アートスペース虹の熊谷寿美子女史、難波氏宅訪問
  • 1993年3月8日 展覧会案内状をデザイン
  • 1993年3月中旬 展示計画概略を画廊に提出、アクリルケース等の制作指示。引き出し、メリヤス、写真等による作品試作
  • 1993年3月23日 終日ビデオ編集(於倉敷職業訓練短大)
  • 1993年3月27日 最終的な展示プランまとまる。写真、スケッチ等を展示用ファイルに編集
  • 1993年3月28日 作品等集荷
  • 1993年3月29日 展示
  • 1993年3月30日 展覧会オーブン
  • 難波道弘氏
    Mr.N =難波道弘氏 時間のレッスン展にて
  • 1993年4月1日 難波道弘氏、展覧会訪問
  • 1993年4月11日 難波道弘氏、展覧会再訪。夜、展覧会撤収
  • 1993年4月12日 作品等返却
  • 1993年4月15日 小野和則氏と難波産業旧工場を改装したアトリエに看板"LESSONS OF TIME" を制作設置



難波道弘氏 略歴

  • 大正4 (1915) 年8月6日 児島の問屋業を営む旧家に生まれる。
      少年期より茶や芸事に親しむ。青年期はスキーと写真に熱中
  • 昭和12 (1937) 年 第1回出征。上海、南京、藩陽へ
  • 昭和16 (1941) 年 第2回出征。
      フランス領インドシナ、マレー、ジャワ、ボルネオへ
  • 昭和16 (1941) 年 結婚
  • 昭和19 (1944) 年 第3回出征。洛陽へ
  • 昭和20 (1945) 年 終戦。洛陽で捕虜になる
  • 昭和21 (1946) 年 帰国。まもなく妻を亡くす。
      戦後の経済改革で家業は中断
  • 昭和22 (1947) 年 再婚。妻と共にメリヤス製造の事業に着手。
      備前の甕との出会いをきっかけに陶器蒐集を始める
  • 昭和30 (1955) 年 この頃から大原美術館などを熱心に見る。
      中国、朝鮮、日本の陶磁を広く葉集する一方、関西財界の茶入、趣味人たちと交わる
  • 昭和35 (1960) 年 家業を継ぎ、N 産業株式会社を経営。
      この頃から柳宗悦、河井寛次郎、黒田辰秋、浜田庄司、芹沢銈介ら民芸運動の主導者たちと交流。民芸品・雑器の蒐集を始める
  • 昭和38 (1963) 年 この頃から郷土玩具に関心をもち、蒐集を行なう
  • 昭和40 (1965) 年 大原美術館で現代美術の展示が始まり、熱心に見る
  • 昭和46 (1971) 年 この頃より日本画家・奥村土牛一家と交流
  • 昭和62 (1987) 年 社長業から退く
  • 平成2 (1990) 年 妻を亡くす

  •   *難波道弘氏は2010年2月3日逝去された。