<< 宇宙飛行士インタビュー index page: | 1 | 2 | 3 | 4 |

毛利 衛飛行士2001[2]
<< previous | next >>
s.gif

福嶋:具体的なことをお聞きしてよろしいですか。毛利さんが、暗黒の中で地球が浮かんでいるのを見て、きれいだと言われているんですが、そのきれいということは、どのようなことか。
もう一つは、宇宙の暗黒の見たこともない真っ黒の質について言われてますね。どなたもビロードのような黒だとか、手でつかめそうだとか、非常に触覚的な黒さを言っておられます。文章では「見たことがないような」とかいろいろなことが言えるんですが、その感動というのを自分自身が持っていないので、それがどういうものなのか理解できないわけです。人間の色彩感覚というのは、たいてい比較によるもので、地球上で今まで作られてきたものからすべて出てきています。だけどシャトルの中では、それは触れませんね。それでいながら、自然というものがきれいだとか、いろんなことが言われる、その感動とはどういうものなのか、ずっと思ってまして。

毛利:まず、黒というのは色じゃないと思うんです。色という発想ではなくて、光がないという発想なんですよ。人間がものを理解するというとき、一つは、自分の経験に照らし合わせて理解する場合、お勉強して学んだ机上の知識じゃなくて、触覚とかそういう色々なもの全部を含んで「わかった」という気持ちになる場合と、もう一つは、知識として持っていて、その理解と比較してほか他のものを見たときに「わかった」という場合の、二つあると思うんです。
自分自身は、一応サイエンティストのバックグラウンドがありますから、光の粒子とか、波動が粒子を持っているとか、スペクトルだとかいうものを知ってます。そういうことからすると、真空で、どこかから光が来たときに、それを反射したり散乱させたりするものがないので、目の方に光が入って来ないという、単純にそういう理解なんですね。当り前のことですけど、光子が入ってこなければ、人間の目には見えないわけです。
面白いのは、地球の陰から太陽がパッと顔を出したかどうかは、太陽を見るか光の反射物体を見ない限りわからないことです。こう、宇宙の暗黒の方を向いていますよね。そうすると、自分のうしろのほうから太陽が出てきてもわからない。太陽から出た光が、永遠の彼方に行ってしまって跳ね返ってこないからです。太陽が出たことがわかるのは、例えばたまたまスペースシャトルの尾翼がここにあるようなとき、出た瞬間に光るわけですね。それで初めて太陽が出たことがわかるんです。太陽が出ていないときには、暗いですから尾翼もまったく見えない。厳密に言うと、物質が持っている温度がありますから赤外線があるんですけど、それだって目には入ってこないですね。
先ほど光がない状態が宇宙の暗黒だと言いました。最初に太陽を見たときに、ああ、聖書に「初めに光あり」と書かれていたのはこのことなんだな、というのがわかったんです。暗黒の何もない状態で、太陽は真っ白なんです。色が何にもないんです。真っ白と暗黒。その暗黒というのが、ビロードのようだと表現する人もいたでしょうけども、反射のない黒と考えてもいいと思うんです。僕が一番それが似ているというのは、暗闇で煤を見た感じ。僕自身、北海道の生まれで、よく石炭ストーブを焚いてて、親父が煙突掃除をするわけです。北海道は夕方日が落ちるのが早くて、午後三時くらいになると暗くなってきます。煙突掃除を手伝ってて、いつのまにか暗くなっちゃうんです。煤を取るためにブラシを使うんですけど、その前に暗くなってしまうと、何にも見えないんですね。煤は特に非常に表面積が大きい。カーボンブラックですね。科学の人にはわかると思いますが、非常に純粋なカーボンの場合には黒体放射というものがありますが。いずれにしても、理想的に全部光を吸収してしまうわけです。一番最初に宇宙に出て暗黒を見たとき、暗がりで煤を見たときのあの感覚がしました。闇夜の黒さとは違うんです。

福嶋:毛利さんがそう述べられていたのは知っていまして、煤というものの感覚が、やっぱり小さい微粒子が集まっているマット状のものだというふうに、僕は個人的には感じていたんですね。マット状というのは、やっぱり反射を起こさない何かが存在するような感覚のことを言われたのかな、と思っていたんです。でも今のお話を聞いていますと、まったく違いますね。

毛利:そうですね。感覚的に冷たいとかいう感覚じゃない。これは現代人ということから来ているんでしょうかね。煤というイメージ。だから暗闇、暗黒を見ても、吸い込まれそうな黒という表現はするんですけど、怖いという感覚じゃなかったですね。でも誰だったかな、土井さんにインタビューされましたっけ。土井さんはどういう表現してました?

井上:土井さんは怖いとはおっしゃってなかったでしたね。

福嶋:向井さんはあまり具体的な言い方をされなかったですが、とにかく見たこともない黒、というふうな表現でした。僕が読んだものでは、NASAの飛行士とかが、ビロードのような黒とか、掴めそうだとかいう言い方がされているんです。マットな感じというのは、空間がずっと向こうに広がっている感覚ではなくて、水ではないにしても、何か物質に近いものが存在するような意識なのかな、という感じを持っていたんですね。

毛利:そうですね。ちょっと原体験が煤なものですから。そういう意味では、ものがあるような気はしてますけど。でもサイエンティストとしての知識の中では、あの星は大体何光年で云々とか考えているし、それからまた、光が宇宙の果てまで行って帰って来ないということも知っている。だから両方ですね。私の場合、原体験と知識というものの混ぜこぜの理解じゃないかと思います。
今の質問は暗黒についてでしたが、もう一つのご質問は――

福嶋:もう一つは「地球がきれい」という感覚についてです。

毛利:それは色々なところに書いてますが、自分自身の考えたことです。一回目の宇宙飛行のときに、ははあ、これがみんなが言う地球の青、輝く美しさかとわかったんです。そのあと自分を宇宙に駆り立てるのは何だろうかということを考えて、地上に戻ってきました。それから、『宇宙の生命』という番組をしていて、それで、ああそうか、とわかったことが一つありました。それは、生命の流れの必然性、なんですね。
今のところ、宇宙の歴史がおおざっぱに200億光年、このあたりは科学者としての知識ですね、しかし矛盾がない知識です。太陽が生まれたのが46億年前で、核融合反応でエネルギーが出て、塵とかそういうのが集まって、太陽が非常に大きいから、重力でもってその他の惑星もつかまった。隕石どうしがぶつかって中に入った水が、最初は熱い水蒸気だったものが温度が下がって海になって、その海の中から、太陽系が6億年ほど経つくらいに、生命というか有機化合物が生まれた。果たして偶然雷か何かで、二酸化炭素とアンモニアとかが結合してそういうものができたのかもしれませんし、あるいはまたハレー彗星みたいな彗星に乗っかって、有機物が飛んできたのかもしれません。とにかく生命ができて、その遺伝子、つまり自己複製できる有機物が連綿と今までつながってきたということ。これは知識ですね。
自分自身はもともと核融合とか材料科学をやっていて、あまりこちらの方面には興味はなかったんです。それが、自分を変えたものは何だろう、美しく見ているのは何だろうと考えているうちに、ああこの延長線上にあるんだなとわかったんですね。つまり、地球という空間の中に自分を複製して綿々と生き延びてきた生命、それが多様化して現在ある人間というものが生まれて、続いてきているわけです。ということは、きっと続けていくという方向性があるんですね。時間と空間に対して、生命というものがずっと続いていく。その方向性を示すものが、ベクトル的に合っていれば、美しいと感じたり、逆に生命を滅亡させる、あるいは何というか、遮断する方向のものは嫌だという感覚が出てくるんじゃないか、と思うんですね。

井上:たいへん面白いです。

福嶋:総合的に考えると、宇宙と全体が必然性の中に存在していることと、毛利さん自身を含めて人間が生命を維持していることが、まったく同等に必然性があるから美しいという意味ですね。

毛利:自分の存在を「肯定する」ということです。「肯定する」ということが美しいということを意識させる。それはきっと、例えば、青い色が美しいというのは、最終的に我々が生きているかどうかは、息をしているかどうか、酸素を吸っているかどうかに関わるんですよね。酸素の色ですね、青の色は。

野村:液体酸素の色ですね。

毛利:そうですね。水の色も青いですし、光のスペクトルが目にこう来ますね。ところが、宇宙で見た太陽は、たしかに真っ白なんです。片一方が真っ黒だから余計に真っ白に見えるのかもしれない。星を見ると、いろいろな色の星があるんですね。それは地上で見るのと同じなんです。そうしたときに太陽の白い色を見ても――もちろん紫外線カットフィルターで見ています、紫外線カットフィルターがあろうとなかろうと、人間の眼にはまったく同じに感じるんですけど――ぜんぜん和まない。地上で太陽を見たら、まぶしいけれども、何となくああ暖かいという感じがしますけれども、宇宙で見た太陽というのは、自分の身体は熱くなりますけど、まったく和まない。その辺りは非常に非科学的な表現なんですが(笑)。

井上:すごくよくわかります。

毛利:それを考えたときに、先ほどの質問と関連しますが、青く見えたり、夕焼けが赤く見えたりするが美しいというのも、宇宙から直接来る光、その中には紫外線や太陽から出ている高エネルギーの粒子とか、いろいろあるわけですけど、それらを全部カットしてくれる空気を通して見るような光だから、和むんじゃないか。そのもとで初めて生命が生まれ、進化して、多様化してこれたような。だから結論的には、生命を生かしてくれる方向にあるものが美しく見える。芸術もきっとそうなんじゃないかと思うんですが。

井上:昔から価値のあるものとして、真善美という三つのことを言いますけれど、今おっしゃっている「美しい」というのは「良きもの」ということもきっと含んでるんでしょうね。「これは真なり」ということも含んだ、要するに価値的にプラスということ。しかじかの現象が含んでいるベクトルがこのプラスの方向であること、それが美しくてよきこと、ということなんでしょうか。

毛利:そうでしょうね。善悪というと、自分のいろいろな欲求もあるし、生物としての本能もあるし、いいか悪いかというのは個人によって違いますね。そのベクトルはみんなそれぞれちょっとずつ違うと思うんですが、もっと長いスパンで全体的に生命として見たときに、きっと進む方向があるんでしょうね。それをいち早く見つけた人が、芸術的にもパァーッとみんなに認められるじゃないかなと思うんです。

井上:なるほど。それは、毛利さんが宇宙の始まりから今の人間に至る歴史を知識として持っておられたことを、宇宙に行かれて身体でもって一緒に実感されたということなんでしょうか。

毛利:そうですね。

井上:最初にお話された「どうして研究したいか、創作したいか」ということの根本に戻るんですが、いつも不思議に思うのは、新しいものの見方とか考え方を創り出したり、発見したりしたときというのは、身体に快感が走りますよね。

毛利:そうですね、本当にそうです。

井上:どうして人間は儲けにもならないのに、新しいものの見方とか考え方を創ることにとにかく惹かれるんだろうか、とずっと考えていたんですけれども、今、毛利さんのお話を聞きながら、そういったところと結びついているのかと思いました。

毛利:本当にそうだと思いますね。でも、お金を儲けるというのもそうだと思いますよ(笑)。多くの人がお金を儲けたいというのは、生き延びるということの一つの方法ですから。生命は色々なことを模索してるんですね。で、たまたま環境が変わったときに、模索していた中から絶滅する方向に行くのもあるし、実は環境が変わったために、すごくそれがよくなったこともある。バブルのときなんか儲けに投機に走った人たちは、もう絶滅しちゃいましたよね(笑)。

井上:そうですね。今おっしゃっていることが、宇宙環境の人文社会的利用という側面で一番大事な領域だと思うんです。つまり、今まで科学というのは、そういう大きな時間軸の中であまり考えられてきませんでした。ところが毛利さんがおっしゃったのは、科学というものを大きな時間の流れの中にもう一度位置付けるということの示唆だと思います。人文社会的利用の中には、例えば商業的利用とか(笑)、色々なものがあるんですけれど、本当にそこに意義があるとすれば、例えば宇宙開発を一つの生物史的現象と捉えて、今言われたような時間軸に乗せると、やっぱりものの見方とか、何をどうするかということが色々変わってくると思うんです。けれども、残念ながら現状はそれがないような気がします。
ですから、僕らに問われているのは、人間の位置を大きな時間の流れの中でどうやって見せたらいいのかということ、それが可能であり必要であるということをみなさんにわかってもらえれば、以前に若田さんに言われたように、アートがミッションになると思うんです。そうでなければ、やはりエンターテインメントとかサロン的なものに留まる。ですから、次に何かその辺のお話とかお伺いできたらと思うんです。

毛利:他の日本人宇宙飛行士がどういう発想で言っているかわかりませんが、それぞれが色々な経験にもとづいて自分の価値観で話をしているので、それぞれいいと思います。あとは、どう感じるかですね。何が今大きな流れの中で、社会の中で広がっているか。
商業的利用についていうと、NASAは最初宇宙ステーションの目的を“Just science(科学だけだ)”と言っていたんです。我々が宇宙飛行士になった頃、NASAにいたときには、いろいろな質問に対してそのように訓練されたんです。ここに来てまた変わってきました。何でもいいんですね、NASAは。要するにNASAは宇宙に行くための機関なので、NASAとして存続できれば、理由は何でもありなんです。最初は軍事、次に軍事とは切り離すということで、色々な目的を探したんですね。で、アメリカの国家威信というのがメインな目標になりました。今もずっとそうなんですが。で、国際宇宙ステーションの目的はサイエンスですけども、火星に行くためには、サイエンス投げ打ってもいいんです。別にサイエンスじゃなくたっていい。

井上:なるほど。

毛利:で、今は、国際宇宙ステーションは火星に行くための手段、例えば、人間の体がどのように変わっていくか、将来的に火星に行けるかどうかを試すところというのが、一番大きな目的になっていますね。それだけでもユーザーはある。例えば、無重力という環境を利用して研究したいと思っている科学研究者はたくさんいるわけです。みんないろいろ提案して、スペースラブを使ったり、国際宇宙ステーションを使ったりして実験しようと思っている。せっかくそういうふうにしてきたそっちの方が、今ガラガラと、だんだん冷たくなってきていますね。

福嶋:そうだとは思うんですが、僕は僕なりにユーディ・シャーマンという人の書かれた本を読みまして、それによると、月に行った人は非常に精神的なものに惹かれるようになってしまう。アメリカ人というのは、冒険や何か新しいこと、創造的なことをすることを好みますが、それを何か越えてしまって、最終的には、神の存在というような、精神的なものに移っていって、大概の人が非常にそういうものが大事だと思うようになる、と最終章辺りには書いてありましたが。

毛利:シャーマンさんは特にそうですね。

福嶋:特にそうなんですか。

毛利:ええ、法律的にNASAの宇宙飛行士は特に技術者、軍人ですから、一般的にはそういうものを排除する人たちですね。アポロのときに、アーウィンのように、自分は神からの使いで月の世に行って何とかの石を発見するために送られたというようなことを言う人がいたので、スペースシャトルの宇宙飛行士は、短いミッションでたくさんの職務をするので、そういう人たちができるだけ排除されるようになりました。

福嶋:ああ、そうですか。

毛利:宇宙ステーションになってから、少し緩くなってきていますが。

福嶋:僕らにしてみれば、そういう精神的なものがあることが重要だと思うんですが、毛利さんの今の話を聞いていると、排斥はされないまでも、そういうものはダメとされるようになってきているのかなという気分になります。

毛利:やっぱり国の予算を使う国家プロジェクトですから、何を目的にしているのか明らかにして、それを国民に還元するという、非常に科学技術的な論法です。できるだけ予期されないものを排することによって、リターンを確実にするということです。その税金を使う責任を、アカウンタビリティじゃないけれど、はっきりしないといけない。非常に大きな国家予算の、NASAは非常に大きな部分を占めますので、それが責任者に課せられている。そういう意味では、こういう人文科学的な研究を今NASDAが重要視しているというのはすごくユニークだし、日本の特殊性がこれから出せるんじゃないでしょうかね。

福嶋:そうですね。昔宇宙に行ったアメリカ人が、僕らにとってそういう重要なことを山ほど語っています。

<< previous | next >>
▲page top

<< 宇宙飛行士インタビュー index page: | 1 | 2 | 3 | 4 |
s.gif