<< 報告書目次 宇宙への芸術的アプローチ『1997年度研究報告書』-3

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2.STS-87芸術ミッションの提案と実施内容の検討(続)

2.4 STS-87芸術ミッションの提案内容

前記の条件をふまえて、われわれは以下に示す幾つかの具体的な基礎実験をSTS-87ミッションに提案した。
時間的にも切迫していたため、この間の情報のやり取りは、高等研を介さず、EメールにてNASDAと直接に行った。

2.4.1 前提としての「芸術」の必要条件

芸術活動は、何らかの物質的素材と身体的活動の関わりという「身体的・物質的次元」だけでなく、生きた主体の感性や想像力という「心的・精神的次元」を本質的な契機として成立する。したがって、宇宙空間での芸術活動の意味と可能性を探るためには、微小重力下における材料の現れ方や身体姿勢、行動能力、空間感覚の変化などの身体的・物質的条件と同時に、宇宙空間における人間の意識や精神状態を重視しなければならない。
とりわけ、芸術という観点からすれば、ぎっしりとスケジュール化された活動システムから離れたときにはじめて可能になる精神的余裕と、そこから生まれる自由で自発的な精神状態がきわめて重要である。つまり、芸術ミッションは、任務という公的な次元よりも、そこから解放されたプライヴェートな意識や感情の次元との関わりが不可欠である。そこから得られる主観的で個別的なデータは、科学的・技術的観点から求められる一般的なデータとは別に、今後の宇宙における芸術計画と人間の心身のありようにとって重要な手がかりとなる。

2.4.2 実験内容・方法・目的

上記の理由から、必要以上にこまかな時間や仕事内容の規定は、芸術ミッションの目的を阻害する。以下の3つのカテゴリーでの実験は、いずれも土井宇宙飛行士の意欲や活動内容に応じて臨機応変に行う。

[1]プライヴェート・アイ:音と映像による心の動きの記録

[2]微小重力下における造形表現の基礎的考察

2-A.点・線・面:宇宙絵画の基礎実験

2-B.羽のあるかたち:折り紙の実験

2-C.立体物による空中での顔の表現(放送中に行う)

[3]「無為の時間」


[1]プライヴェート・アイ:音と映像による心の動きの記録

「デジタルビデオカメラを用いて、宇宙船の内外を問わず、自分が気に入った対象(人のふるまい、場所、道具、光景など)を自由に撮影して下さい。」

注意事項:
・義務感や上手に撮ろうといった意識にしばられず、自分のプライヴェートな記録と思って、個人的な興味の対象を思うままに撮影する。
・自由にナレーションを入れる(例「ここは私が気に入っている場所です」等)。
・カメラは動画だけでなく静止画も撮れ、また音声も録音できる。使い方は自由。

目的:カメラの映像は撮影者個人の視点をそのまま映し出す。記録された音と映像によって、船内空間の状況だけでなく、そこでの個人の関心や心の動きを捉え直し、今後の芸術計画の基本データや作品材料にする。

[2]微小重力下における造形表現の基礎的考察

2-A.点・線・面:宇宙絵画の基礎実験

「以下の一連の作業によって、絵を描いて下さい。画材はすべて自由とし、異なる画材を混用してもかまいません。身体は固定しない状態にして下さい。」

(1) 紙を4枚ないし6枚つないで大きな長方形の紙面を作る。紙は無地が前提。
(2)その紙いっぱいに大きな円を描く。色は自由。
(3)円に沿って紙を切る。ハサミがない場合は手で破る。きれいに破れなくてもよい。
(4)その円の中に好きな色で「水平線」を描く。そのときの自分の身体の感じを大切にして描くこと。
  画材は自由。「水平線」をどう解釈するかも自由。
(5)その円の中に「上昇する6つの輪」を描く。
(漫画のような補助的な線は描かずに、輪どうし、また輪と水平線を関係づけることによって上昇感を表す。
 輪の大きさや色はそれぞれ自由。互いに重なってもかまわない。6は搭乗する飛行士の人数。)
(6)円の中の任意の箇所を好きな色で塗りつぶす。塗り残しがあっても気にする必要はない。

*水彩色鉛筆(水で溶ける色鉛筆で水彩的効果を出せる)の使用が可能なら、色の広がりや重ね塗りなど、表現の幅が大きく広がる。

目的:微小重力下において、垂直/水平、上/下、左/右、前/後、軽/重などの基本的な空間認識や重力感覚がどのように変容し、それが絵画空間の構成の上でどのように反映されるのかを探る。合わせて、円を描く、線を引くといった描画の基本動作の可能性と変化を探る。

⇒実現

2-B.羽のあるかたち:折り紙の実験

「以下の一連の作業によって、折り紙を作り、空中に浮かせて下さい。」

(1)規定の用紙を切って正方形の紙を作る。
(2)紙の上に点・線・面を自由に用いて模様を描く。壁面などをフロッタージュしてもよい。
  紙の一部を塗りつぶしたり、水玉模様をラフに描くだけでもよい。画材、色は自由。
 (紙面への描画行為は折り返したときの効果のため。折り上がったあとで一部に再度描画してもよい)
(3)その紙を対角線で折って中心を出し、それを軸に空中で回転させる。吹き駒の形に折ってもよい。
  (紙の中心が回転軸であることを示す)
(4)その紙を再び手に取り、以下のような羽のあるかたちを折り紙で作る。
  いずれか一つだけでもよいが、複数作るとさらに効果的であろう。

・飛行機(自由な形で)
・羽根つき風船(息を吹き込んで膨らませる。)
・羽ばたき鶴(普通の折り鶴とちがって尾を動かすと羽ばたく)

(5)作った折り紙を静かに浮遊させる。複数個の場合、空中への配置は自由。

*上記の折り紙は小学生でもできる。折り方をわかりやすく図解したものを土井飛行士に後日送付する。もちろん作る形は土井氏の要望に応じて変えてもらってよい。

目的:微小重力下で、比較的精密さを要求される折り紙の動作がどの程度可能かを探り、将来の宇宙での造形行為の手掛りを得る。模様を描くのは、Aの実験とも関連する。また、身近な一枚の紙から多様な立体的かたちを作りだす折り紙は、日本文化の効果的なアピールにもなるだろう。他の宇宙飛行士が興味を持ってくれれば、いっしょに作って浮かせても面白い。

2-C.立体物による空中での顔の表現(放送中に行う)

「以下の一連の作業によって、福笑いの要領で空中に顔を描いて下さい。」

(1)A-1の要領でできるだけ大きな紙面を作る。
(2)紙面の上に顔の輪郭だけをできるだけ大きくクレヨン等で描く。
(3)それを背景にして、身近な持ち物(器具・食器・その他私物)を空中に浮かせ、福笑いの要領で顔を作りながら、個々の持ち物を紹介する」

*例えば、土井飛行士自身の笑った顔、怒った顔など、具体的な表情をモチーフにする。耳の部分はスリッパで、眉の部分はフォークで、というふうに。目の部分に適当なものがなければ、紙に描いて切り取ったものを用意していってもよい。

目的:ゲーム的なユーモアの感覚を通して、緊張をほぐし、乗組員同士のコミュニケーションをはかる。また、あらゆる事物がアートの材料になりうることを示す。宇宙飛行士の持ち物の紹介は地上の視聴者にとっても刺激的であろう。

[3]「無為の時間」

「船外活動の際、所定の任務にあてる時間の余白に、ただ何もせず、しばらくじっと宇宙空間に浮かんでいて下さい。」

(1)今回の船外活動の重要性はわれわれとしても十分理解しており、それに障害を与えるものではまったくない。本実験は、任務の外側に生じた時間的余裕に個人の自由意志により行うものである。行うといっても「何も行わないという活動」である。業務が予定時間いっぱいにかかればこうした時間は生じないから、当然実験は不可能である。しかしもし余裕が生じたなら、ぜひ一切の活動をやめて、宇宙空間そのものをじっくり味わう時間を持ってほしい。
(2)1分でも、3分でも、いつ、どのような長さで、この「無為の時間」を持つかは、土井飛行士自身のその場での意志や状況判断で決めてもらう。
(3)そのときに感じたこと、思い浮かべたことなどを、できれば船内に帰った後で、あるいは地球に戻った後で、言葉なり絵画なりで表現してほしい。
(4)土井飛行士に後日インタヴューができるなら、このときの精神状態についてさらに有益な情報が得られるだろう。

目的:前提で述べたように、芸術活動の基盤は、あらゆる目的意識の拘束から離れた自由な精神状態での自己と宇宙の認識である。過去の宇宙飛行士の多くは、次のような見解を述べている。

「精神的インパクトを受けるためには、時間的余裕とその中で生まれる精神的余裕が必要だ。スケジュールが詰め込まれている宇宙飛行では忙しくて、無為な時間はまったくなく、知的精神的余裕はまるでない。宇宙とか人間存在とかに関して省察を加えることができたのは、任務を遂行している最中ではなく、仕事を終えて暇な時間ができ、窓から外をぼんやり見ているようなときだ。そういう時間こそが精神的に実り豊かな時間となる。」

土井飛行士は、日本人を代表して、はじめてそうした時間を宇宙で味わう人間になりうる。土井飛行士のこの「無為」の時間を、地上のわれわれも彼と共有することで、無限の宇宙に浮かぶ自己の存在を感じ取れるかもしれない。あらゆるかたちある造形の手前で、かたちなき芸術の生命が芽吹くのはそのような時間であると思われる。

 

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