<< 報告書目次 宇宙への芸術的アプローチ『1997年度研究報告書』-8

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2.6 実験結果の検討と評価(続)

2.6.2 実験の全体的意義の検討

(1)絵画実験の位置づけ

今回の絵画の基礎実験の意味づけに関して以下の二つの視点が存在し、土井氏とわれわれにおいて基本的なずれがあったと推測される。

A.従来の地球生活における芸術形式を宇宙空間あるいは宇宙生活のうちに導入するための基礎的実験。
B.宇宙空間での微小重力その他の要因による肉体的心的環境の変化に伴う描画上の差異、変容、展開を肯定的に受け止め、新たな表現の可能性を探るための基礎的実験。

われわれとしては、Bの視点から、宇宙であるがゆえの新たな表現が生まれる可能性があるのではないかとの期待を持ってこの実験を提案した。すなわち、肯定的な意味で地上と変わりなく芸術活動ができるはずはない(できてもあまり意味がない)というのが、提案の出発点だった。

一方、土井宇宙飛行士としては、地上での描画と変わりないといった意味のコメントが肯定的なニュアンスでなされたことから推測して、Aの視点からこの実験の意義を受け取ったと思われる。すなわち、宇宙においても支障なく飲食ができる、眠ることができる、生活することができるといったことと同様に、地上と変わりなく芸術活動ができることを証明してみようとしたのではないか。土井宇宙飛行士がA、Bいずれの視点から今回の実験に臨んだのかをぜひ確認したいところである。

われわれはまた、描画の体勢、紙面の形態、用具についても、地球でのそれとは異なったあり方をさぐる手掛かりをこの実験に求めた。例えば、地上では自明の四角い紙面も、宇宙では円形その他の多様な可能性が考えられる。

また、描くという行為や描かれた絵画の存在そのものが、宇宙飛行士たちの心理や宇宙生活にどのような影響をもたらすかという点にも関心があった。会見において、他のクルーからスケッチを行っていることへの反応はなかったか(それをきっかけにコミュニケーションがはかれるのではないか)、また絵を船内に飾ることは考えなかったかとのわれわれの質問に対し、迷惑をかけるような作業ではなかったので特に反応はなく、絵も完成後すぐに収納したとの回答があった。この点でも、われわれの実験の意図や文脈が十分に土井氏に伝わっていなかった可能性があり、反省しておくべきだろう。

これは、実験の提案者と遂行者のコミュニケーションの問題でもあり、今後、慎重な検討を要する。しかし、今回、仮に両者のあいだに意識のずれがあったとしても、むしろわれわれにとって興味深い意識のずれであり、差異を肯定的に受けとめ、今後の研究において検証していきたいと考える。「地上と同じことができる」ことや「地球の感覚を思い出す」ことが、宇宙滞在において滞在者自身にとって特別な意味をもち、プラスに作用するという事実があるなら、この点にも注目すべきであろう。

(2)実験における考察点の問題

すでにふれたように、完成した絵は他者に見せることなくすぐに収納されたわけだが、これは今回の実験が、1)「生産行為(創作行為)」の可能性に焦点を当てたこと、2)またその所産を「地上へ持ち帰ることを前提とした行為」であったことを示している。

創作行為は自身へのカタルシスとして働く性質を本来有しているものであり、土井飛行士からもスケッチを楽しんだという感想を得た。こうした意味においては今回の実験でも「生産行為(創作行為)」が行為者自身に対しプラスに作用したといえる。

また、宇宙体験自体が限られた少数による貴重な行為であり、宇宙滞在も比較的短時間である現在において、鑑賞者が地球生活者たる一般の人々であり、所産が「宇宙から地上に向けたメッセージ」あるいは帰還後の鑑賞物という性格を帯びることは自然なことであろう。今後ともこうした可能性について考察、検証を継続していくべきであると思われる。

しかしながら、今後宇宙空間での滞在が長期化し、滞在者の増加や多様化が進めば、それに伴って、宇宙での生活や滞在者間でのコミュニケーションの在り方等にも注目していく必要が生まれてくる。そこで本共同研究においては1)、2)と並行して、3)「消費行為(鑑賞行為)」の可能性、4)滞在(宇宙生活)を基盤とした「地上へ持ち帰ることを意識することなく成立する行為」としての在り方に関しても積極的に考察していく必要があると考える。

(3)情報収集における調査対象の問題

土井宇宙飛行士の会見報告によると、他のミッションでは今回の実験のような芸術的活動の例はないとのことであった。とすれば、参考とすべき先例に乏しく、また情報収集とりわけ詳細な現状の把握が重要視される段階にある本共同研究の調査対象を今後いわゆる芸術的活動に限定せず、「off-dutyの時間全体」として設定し直す必要があると思われる。

例えば、宇宙生活において地球生活における芸術が担っていることに相当する行為が形式の違う行為として既に成立しつつあるのではないかとの仮説を立て、クルーに対しoff-dutyの時間の過ごし方(クルーたちが芸術的活動だとは思わないものも含めて)全般を対象としたアンケート調査を行い、実際にoff-dutyの時間がどのように利用され、それがクルーにとってどのような意味を持っているかといった実情を把握し、そのなかに今後の「宇宙芸術」の在り方のヒント(宇宙文明における芸術の発生)を求めてみてはどうか。

先述のように宇宙を体験することはきわめて貴重なことであり、体験すること自体が興味の対象となりえる。すなわち「宇宙を眺める(感じる)」行為自体が現状において鑑賞と同等の意味を持つといえる。このことは今後の「宇宙における芸術」の可能性に関する重要な手がかりの一つと成りうると考える。

例えば今回のミッション中、土井宇宙飛行士が衛星回収のための船外活動において長時間船外において待機していた状況を、宇宙空間における「無為の時間」あるいは“isolation, floating”の体験としてとらえるとするなら、その行為は宇宙における芸術活動と解釈することも可能なのではないか。さらにはこうした行為に特化した生命維持モジュールを創作物と考えることも可能なのではないだろうか。


2.6.3 宇宙生活における芸術表現のコミュニケーション機能に関する検討

今回の絵画実験について、芸術活動におけるコミュニケーション機能の観点から評価することができる。
芸術活動におけるコミュニケーション機能には2つの側面がある。
一つは、芸術活動あるいは作品を通じて自分自身とコミュニケートするという側面である。これは、芸術活動による個人の心理的欲求の充足という効果をもつ。
もう一つは、芸術活動あるいは作品を媒介として人と人とがコミュニケートするという側面である。これは、芸術活動・表現を通じて「価値」を社会に伝達するという役割をもつ。
今回の土井飛行士によっておこなわれた二つの描画のうち、B「天井のスケッチ」はどちらかというと前者の側面が大きく、A「宇宙絵画の基礎実験」はどちらかというと後者の側面が大きいと思われる。

今回の作業内容を検討すると、現時点での、宇宙生活における芸術活動の在り方について、以下の問題が考えられる。

(1)全般的な問題

現在は、宇宙生活が実験的な段階であり、全体の行程は厳密にコントロールされ、かなり過密なスケジュールになっている。従って、今回行われた「芸術活動」自体がコントロールされた作業となり、これを行う飛行士には一つの課題として受けとめられる傾向がみられた。このため、前述したように、コミュニケーションとしての芸術活動が充分に機能していたとは思われない。しかし、今後、長期間滞在の宇宙生活が可能になった時に芸術活動の果たす役割とその効果についていくつかの可能性が示された。

(2)芸術活動を通じての自分自身とのコミュニケーション

現在の宇宙飛行士には資質として高い適応性が要求されている。これは、過酷な環境に耐えて、チームワークによって着実に任務を遂行するためには、必要な条件である。また、地上での訓練等を通じて充分に宇宙活動に順応しており、かつ、宇宙での滞在期間も比較的短期間であるため、現段階では、宇宙飛行士は宇宙生活において自分自身とコミュニケートする必要性をそれほど強くは感じていないようである。

しかし、今後、宇宙活動が広範に展開されれば、まず第一に、宇宙飛行士の資質自体に多様性がみられるようになる。さらに、宇宙ステーションでの滞在が長期間にわたるようになると、宇宙飛行士同士の対人関係、あるいは、個人のなかでの日々の状態に対応して、多様なコミュニケーションの要求が生じてくると考えられる。宇宙飛行士がカタルシスとして描画あるいは造形活動を行うというだけでなく、造形作品を鑑賞することによる自分自身とのコミュニケーションも必要になってくると思われる。

このとき、例えば、無重力状態で「上下」の区別がなくなるので、それに対応して「どの方向からも見ることが心地よい」造形が好まれるのか、それとも、「上下をはっきり感じさせる」造形が好まれるのかといった問題がある。また、平面的なものと、立体的なものの与える印象の違いということも問題となると考えられる。今後は、宇宙生活での、宇宙飛行士の感覚知覚的・心理的変化をより詳細に記録することによって、芸術活動による個人の内的欲求の充足の在り方を検討することができると思われる。

(3)芸術活動を媒介とした人と人とのコミュニケーション

現在は宇宙はそのままで鑑賞の対象となっている。今後は、宇宙空間に人工的な事物が増え、宇宙空間における人工的な要素と自然との調和ということが課題となると思われる。このとき、「宇宙」をどのように捉えるかという価値観の表現の一つとして、芸術活動の果たす役割が考えられる。地上の人々に、宇宙が及ぼす心理的な影響をできるだけ主観に沿って表現・伝達するために、忠実な画像とともに宇宙生活の中から生み出された造形表現の訴える力が大きいと考えられる。
また、人々の間で、宇宙をそのまま鑑賞するだけでなく、宇宙空間で人間が行う「遊び」的な活動を見たいという欲求も生じてくると考えられる。宇宙空間での表現(造形表現、パフォーマンス)に与えられる制約や可能性について、具体的で多方面の情報が必要と思われる。

現在、大半の地球人にとっては、リアルタイムで送られてくる宇宙からの映像が最も興味深い伝達であり、宇宙から撮られた地球のさまざまな場所の写真や、宇宙の写真に勝るものはない。これは、宇宙が、未知のもの、珍しいもの、みなが平等に共有できないもの、共通認識として概念化されていないもの、に対する好奇心を刺激するものとして捉えられているからである。言い換えれば、宇宙空間における出来事それ自体は興味深い事柄ではあるが、まだ芸術表現の、特に絵画的表現の対象としては捉えにくいと言えるかも知れない。

ただし、その現場にいる宇宙飛行士が優れた芸術的資質を有していたとしたら、事情は変わるであろう。人文社会科学への理解のある宇宙飛行士を求めるのも重要であるが、さらに、宇宙飛行士が得た感動を表現できるよう、文章や詩(俳句を含む)による表現、造形による表現などの簡単な練習も訓練のメニューに取り入れるということは考えられないだろうか。


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