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向井千秋飛行士1999[2]
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向井:皆様、おはようございます。宇宙開発事業団宇宙飛行士の向井千秋です。本当にお忙しい中お集まりいただきまして、ありがとうございます。私自身、1994年そして昨年と、二度も宇宙飛行をするという大変貴重な経験をさせていただきました。今日はその私の体験とか、私が宇宙で地球を見て思ったこと、あるいは宇宙の無重力空間でいろいろ考えたことなどを中心に――独断と偏見かもしれませんが――お話させていただければと思います。

私はもともと専門は医者です。心臓外科医をしていたんですが、1985年以降宇宙開発事業団に宇宙飛行士として働かせていただいています。ですから医師として働いていたときよりか、宇宙飛行士として働いている時間の方がもう長くなっています。私が宇宙に行きたいと思った最大の理由は、宇宙から自分の眼で自分の住んでいる故郷の地球を見てみたい、そう思ったんですね。それからちょっと勉強してみたら、マイクロ・グラヴィティ――無重力も意外と面白い。無重力の世界、それを通して逆にこの地球上の重力のある世界もすごく面白い、今はそういった重力にからんだ分野は非常に面白いと思っています。私自身は、こういった宇宙の人文社会的利用は当然重要なことだと思いますし、宇宙というのは、水とか空気、そして空がみんなで共有するものであるのと同じように、やはりいろいろな人がいろいろな観点から使っていける、そういうすばらしい空間なんじゃないかなと。そういったもののインフラストラクチャを整備していく、また推進していくことが私たち宇宙開発事業団の役目じゃないかなと思っています。

ちょうど皆様のお手元には、このOHPをプリントアウトしたカラーの紙があると思います。まず初めのこの映像は、毛利飛行士が飛んだときの映像です。ちょうどハリケーンの目が出ていますが、こういった映像は宇宙ではよく見えます。私が初めて宇宙から地球を見たとき――一回目の飛行でしたけれども――本当に感激しました。まるで堂々としてなおかつ気品のある貴婦人が、ちょうどレースの洋服を着て宇宙空間の中にきりっと立っている、そんなふうに地球が見えました。これかなりよく写真撮れてますが、実際に見るともっともっと雲が三次元的に高さがありますから、雲のパターンもきれいで、本当にレースのパターンを見ているような感じになるんですね。私はこれを見て本当に思ったのは、こういうすばらしいところを故郷としていた自分を、そしてその故郷のすばらしさを誇りに思える。すごいところにいたんだなー自分は、という感じで地球を見ていました。それとともに、非常に壮大な景色なんですが、やっぱりはかなさがある。
私はいつも思うんですよ。自分の目の位置を変えて物を見ることができたと。例えば私たちが地上に立ってスペースシャトルなんかを見ると、二十世紀の科学技術ってすごいと。こんなすごいものを宇宙にまで送ってしまう、そういうすばらしい技術を人間というのは開発してこれた、すごいなーと思う反面、宇宙から地球から見てみると、本当に空気の層なんてこんな薄いんですね。そういう中に、何億の人がひしめき合って生きている。そうすると、広大な宇宙に比べたら人間のやってきたことなんて本当に取るに足らない。やっぱり自然というのはすごいという――何というのかな――自然の前には本当に頭が下がると。人間はすごいって言う気持ちととともに、やっぱり人間とか地球とかいったものは、本当にフラジャイルな、はかないものだなーという、二面性を持った感じを持ちます。

それと、私がこういった写真を見て一番面白かったのは、ちょうど生クリームをホイップしたように見えるんですね。で、例えば夜、地球上で、コーヒーカップの中に生クリームを入れてかき回して見たときに、ああこれはユニバースだというふうに表現する人もいると思うんですね。ですごく思ったのは、宇宙から見た現象も、あるいはコーヒーカップの中で起こっている現象も、規模の違いがあるだけで、結局自然界で起こっている現象というのは非常に似ていると。それと宇宙からだけではないんですが、私、よくアメリカに住んでいて、グランドキャニオンとかのすごい景色を見ると、ものすごい壮大な景色というのは逆に人工的に見えるときがある。あたかもディズニーとか、そういう所で簡単に造ってしまえそうな要素がある。いつもそんなふうに壮大な自然というのを見ています。
それとこの宇宙の黒さ。色に興味があるとおっしゃっていましたが、この宇宙の黒さは、私が今まで見た中で一番黒い黒、光をいっさい反射しない黒だから、吸い込まれてしまうような本当にきれいな黒い色をしていました。ロシアの女性宇宙飛行士で「ベルベット・ブラック」と表現した人がいますが、何かベルベットよりも、もっともっと吸い込まれるような黒でした。それと私は「ふるさと」という歌が大好きで、あの三番に「山は青き故郷水は清き故郷」とあると思うんですが、今度見て思ったのは、宇宙から見ると海の部分は青く見えますけれども、陸地も森林とか山も、森林がかぶさっているんですけれども、やっぱり青く見えます。

次のスライドは、みなさんから見ていただいても、スペースシャトルの中の窓から地球を見上げている感じがすると思います。私たち宇宙を飛んでいると、スペースシャトルとともに宇宙を航海している、漂っている感じがします。見上げと見下ろしの面白い感覚なんですが、これ、みなさんから見ていただくと、地球を見上げている、となると思います。これをひっくり返して、こうやって見ていただくと、どういうふうになるか。どういう感じを持たれるか。たぶん、みなさん、これは自分はスペースシャトルの中ではなくて、宇宙空間に飛び出してしまって、船外活動をしながら地球を見下ろしている感じになると思います。それはなぜかというと、地球上にいるとどうしても上下というものが変えられない世界にいるから。この点で、私たちすごく面白い経験をしました。ある日、宇宙船の中を30分だけ、仕事に関係なく天井と床を逆さにして生活をしてみようということをやりました。そうすると、すごく面白いことが起こって。
スペースシャトルの船体部分というのは二階建てになっているんですが、生活部分というのはミッドデッキというその二階のところで、その天井と床をひっくり返してみたんです。天井に立って、その上を歩くようにする。そして床には立たない。みんな同じようにする。そうすると、初めひっくり返ると、天井に自分が立っている、そういう感じがして足がすくむんです。ところが数秒経つと、突然天井が自分の床になりうる。目で見て天井だけれども、もう天井という感じがしなくて、こういう蛍光灯の上を歩いて行っても、それは自分の床なんですね。そうやってひっくり返して生活してみると、今までコックピットの上には上がって行って、そしてコックピットにある窓から地球を見ると、地球を見上げている。そういう感覚で地球を見ていました。ところが180度転換してみると、今度はコックピットの中に、ちょうど井戸の底に階段で降りて行く、そんな感覚が出てくる。そしてその同じ窓から地球を見てみると、ちょうど底がガラスになっていて、水中が見れるようなグラスボートというんですか、そういう船から、地球を見ているという感覚になります。ですからたしかに視覚というのは非常に強いのですが、目でいくら天井のインテリア、床のインテリアと思っても、重力のない空間ではひっくり返すことが簡単にできます。

次、これは夜の地球なんです。よく「ブルー・プラネット」というふうに昼間の地球の美しさをみんな言ってますが、夜の地球もものすごくきれいなんです。(あの、すみません、私いつも早口でしゃべってしまって、もし途中ででも質問とかご指摘がありましたらどうぞおっしゃって下さい。)やはり真っ暗な宇宙の中に灰白色、ちょっと茶色がかった地球がぼおーっと影みたいに見えています。そしてこのオーロラですが、ちょうど私たちもオーロラを見ました。そのときに、眼下にオーロラ、左手にオリオン座、右手に南十字星といった景色が一望のもとに見れる。プラネタリウムで言えば――普通の私たちの感覚というのは、下から見上げているわけですが――プラネタリウムの天蓋をずっと這うように飛んでいる、そんなふうな窓の外の景色が開けてきます。そして月も、地球よりは白っぽく見えましたけれども、きれいに見えてましたし、月が雲を照らすと、白銀の世界みたいなものすごくきれいな光景が見えるんですね。それと都市の光もすごくきれいで。私、表現力がないんですが、表現すると、通常飛行機とか高い山から見ると宝石箱を開いたような美しさと言いますけれども、宇宙から見た大都市のライトというのは、それよりかもっともっと小さくて、砂金が蒔かれたような感じに見えます。高度が大体300キロから500キロですから。人工物、橋ですとか滑走路ですとかそういったもの、夜の滑走路なんかも目でもよく見えます。それとすごく面白いのは、躍動的な雷。雨雲の上を通ると、雲の中に雷が光るアメーバのようにものすごく動き回っています。ちょうど行灯の紙の一枚を通して向こうで光が蠢いているかのように、すばらしい光景に見えます。それと流れ星なんかも、ちょうど大気の層に今入ったなという感じでパーッと光って見えました。

これが日の出と日の入の光景なんですが、ものすごくきれいです。宇宙空間で見る太陽というのは、ものすごく真っ白。というか、ギラギラしていて、生命を寄せ付けないような厳しさがある太陽です。そういった太陽の光がガラス窓から入ってくると、もうじりじりと皮膚が熱くなるような感じです。ところがそういう太陽が、こういう地球の空気の層に入ってくると、突然、地球上で見ていたような、金色の見慣れたきれいな光がサーッと地球上にかかるんですね。ちょうど雲から光が降りてきている宗教画がよくありますよね、私はああいうのを見るのがすごく好きなんですが、雲のこういった形のところから太陽の光が入ると、地上に金色の光の筋がパーッと当たって、それはものすごくきれいです。日の出とか日の入は本当に見ていて飽きないと思いました。それと砂漠などでも、角度によって太陽の光の色合いがどんどん変わるんですね。ものすごくきれいでした。あとすごく面白かったのは、例えば地球のこちらの軸で東側を見てみるとすでに昼間なんですよね。ところが西側を見てみるとこれから日が明けようとする。例えばここで言えば、私たちは一生の中で五分前には生きられないわけですね。時間の流れの中でいうと点でしか生きられない。ところが宇宙から地球を見ると、もちろん自分は点でしか生きていないけれども、地球上ではこちらの人はもう起きて活動している、こちらの人はまだ寝ている。何かその、時間の流れが今まで点だったのが線のように見える、そんなすごく不思議な感覚がありました。

次のスライドは富士山です。どの宇宙飛行士でも、やはり地球を見るのはとても好きで、なおかつ自分のホームカントリーを見るというのは大変好きなことです。みんな口を揃えて地球は美しかった、フラジャイルである――そういうことを言う。独断と偏見かもしれませんが、やっぱり誰にでも望郷の念というのがあるんだと思います。宇宙に飛び出してしまうと、生命体がいた場所から自分が飛び出してしまって、全く連続性のない所に置かれてしまう。そういう所から自分が住んでいた場所を見ると、もう自分の母国に帰れないという人たちが望郷の念で涙を流したのと同じような感覚をわれわれが一瞬でも感じるからだと思います。ちょうど島崎藤村の歌なんかにありますよね、「椰子の実」とか。だから故郷というのは、ものすごくすばらしいものだと思うんだと思います。
それと人工物がよく見えるということ。私、昼間の地球で人工物を見て思ったのは、やっぱり地球上のいろんなところに、いろんな人が住んでいるなと。それは生まれながらにして、自分の運命でそこに生まれて、その場所から出ることなく一生を終わっていく人たちがたくさんいるわけですよね。ですから、いろんなところでいろんな人が、一生懸命生きているんだなと思いました。例えばこれ都市開発で、これは関東地区ですけど、かなり緑がなくなっています。こういったところとか、ときどき焼畑とかを見て、それは悪いというふうに言う人もいるかもしれないけれども、そうしていかなければ生きていけない人たちもいるわけで、必ずしもそういったものが全面的に悪いわけじゃないと私は思います。こうやって見てみると、結局われわれというのが、自分一人だけで生きられるわけじゃなくて、自然界からの恵みがない限りは生きられないわけです。食べ物もそうですし、光とか空気・水もそうですから。そういったものを、地球という環境はわれわれに与えつつ、そしてわれわれと一緒に生きている。何か地球全体が一つの、やっぱりわれわれと共に生きている生命共存体――そんな感じがしました。

次のスライドお願いします。これはスペースシャトルの中の寝床です。この寝床で、普通は地上ですと仰向けになった状態で寝られるようになっています。でもこれ、非常に不思議な空間ですから、例えばここの所に腰掛けて、90度ひねった形で座ってみると、ここの所は机になりうるんですね。普通だったら横に寝てて、ここに壁というか、こういったものがあっても、こんなふうに書くのは面倒くさいと思いますでしょう。ところが90度体がひねられていても、突然上下感覚が変わると自分の前にある机のような感覚が出てきます。そういう意味ではインテリア・デザインなんかを考えていくのにも面白い空間なんじゃないかなと思います。
眠ることなんですが、ふわふわ浮いていると心地いいんですが、やっぱり眠りにくいという人もいるんですね。宇宙で枕があるんです。初め訓練のときに、枕なんて冗談かと私思ったんですね。よくアメリカの人たちジョーク好きだから、この枕をどうすんだろうと思ったら、いやこれは冗談じゃない、この枕は自分の頭にぎゅーっと縛りつけて、それで寝るんだと。浮きながら枕を縛りつけて寝る。そうするとよく寝られるという人もいるんです。これはなぜかというと、結局私たちってぷかぷか浮いていると不安感がある。やっぱり自分の何かリファレンス――基準点が欲しくなる。例えば重い布団掛けなきゃ寝られないという人がいますが、そうだと思うんですね。圧迫感が少しあった方が非常に安心する。そういうことで、枕がぎゅーっと頭に縛ってあると、枕をしているような感じがして寝られる。そして寝るときも、寝床の中にもぐりこんで体をぎゅーっと縛って寝ると、やっぱりよく寝られるっていう感じがあります。それとこんな狭い所でも、一応寝返りは打ちます。私の寝相が悪いせいかもしれませんが、朝になったら寝返り打ってます。

次は食事ですが、これは毛利さんが日本食を食べているところです。今、食事はもうかなりのメニューがありまして、特に諸外国の宇宙飛行士が飛ぶときには、エスニック・フード。例えば日本だとカレー。カレーが日本の味かわかりませんが、まあ子供たちはカレーが好きですね、いわゆるボンカレーみたいなカレーとか。私が飛行したときには、家庭料理を宇宙食に加工して持って行こうというキャンペーンやコンペみたいなのもやっていましたので、稲荷寿司とか高野豆腐の煮付け、たこ焼き、キンピラゴボウといったものを宇宙に持って行きました。宇宙できんぴらごぼうなんかを食べると、昔、母が田舎で作ってくれたようなキンピラゴボウを思い出したり、小さい頃遊んだ土手に咲いている菜の花だとかレンゲだとか、そんなものを思い出しました。やっぱり宇宙では食べ物というか食事っていうのは、自分たちが楽しむってこともあるし、なおかつ日本なりいろんな国の食文化を世界に紹介するという意味でも、エスニック・フードっていうのはすばらしいんじゃないかなと思いました。

次のスライドは、これ遊びなんです。私たち宇宙飛行士は、ほとんど科学技術関係とか技術的な実験ということで宇宙に行ってますので、大体余った時間がたまたまあったらいろいろやろうということで、みんなそれぞれ工夫して、若田さんこういった達磨とかお手玉とかを持って行って。スライドないんですが、他の宇宙飛行士なんか例えばキーボード持っていて演奏してみたり、サキソフォン持って行ってみたり、そんな人もいました。

次のスライド、これは毛利さんが水中花を作っているところです。中に桜の花――塩漬の桜を入れてます。やっぱり毛利さんも日本の文化を皆さんに紹介したいということで、こういった桜を持って行っています。私が宇宙環境はなんで面白いか、無重力環境がなんで面白いかということの一つに、こういうことがあるんです。いわゆる水とかが、地球上だったら容器に入れてないと絶対保持できない。こういうお茶のカップがありますが、必ずお茶とかも容器に入っている。ところが宇宙ですと重さがないですから、水でも液体でも、容器を使わずに、空中なりいろんな場所に浮遊させることができる。そうすると、水は表面張力が非常に強いですから、きれいな真ん丸の玉ができる。それはすごくファンタスティックなんですね。通常こういったものは、地上でも空中に水をパアーッと撒いたときに、キラキラとなって水が丸くなる、その一瞬の時は見れますよね。それとかビロードとか里芋の葉っぱの上に水を転がすと水がコロコロとなる。そういったものは見えますけども、丸い水の玉が常にこういうふうに浮いているような状況はないわけです。毛利さんが花を入れてるこの水玉も、今全然固定していないからふわふわ浮いてますけども、軽ーい超音波なりを当ててやると、うまく固定したり、あるいは形を変えることもできる。三つ葉のクローバーのような格好にしたり、お皿型にしたり、そんなこともできるんですね。こういうものから、将来、例えば宇宙インテリアで、こんな大きな丸い、容器を使わない、宙に浮かぶ水槽で、中にいろんな金魚なんかが飛んで――飛んでじゃない(笑)、泳いでいるわけですが――その金魚が跳ねたときは、ちゃんと水に戻れるかどうかちょっとわからないんですが、そういった空中に浮かぶ大きな水槽なんていうのも、将来、宇宙コロニーなんかで非常に大きな応接間なんかに作るときれいなんじゃないかなと思います。

次のスライドは若田さんが碁をやっているところです。若田さんは碁が大好きで、わざわざ日本に来て練習してやってました。

次のスライド。私は去年のフライトの際に短歌を詠む機会がありまして。それはどうしてかというと、みなさんのお手元にお配りした資料の中に「スペースシャトル活動に関連した短歌・俳句」というのがあると思うんですが、もともと一回目の飛行のときに、上の句と下の句、上下というのがあったので、上と下――宇宙と地球で宇宙時代の万葉集みたいなもの作ったら面白いよねーなんて話していたこともあったんです。それとは別に、NASAのゴールデン長官が筑波にいらした折に、初めに「漕ぎぬけて霞の外の海広し」という正岡子規の上の句を詠んだんですね。それに応えてうちの理事長が「藍とうとうとながれたり」というふうに――「あいとうとう」というのは宇宙の蒼さなんですが――これからそういったものでお互い協力していきましょうということが始まって、一時ちょっとした短歌ブームが巻き起こったことがありまして。私が飛行するときに、じゃちょっと向井、上の句でもやってくれないかという話になったんです。ところが私そういう才能はもともと全然ないですから、すごく頭痛くて。自分が上で何か詠めるものがあったら詠むけれども、もしかしたら詠めないかもしれないと言いつつ、二回目の飛行に赴いたんですね。そういうこと言われていたし、一回飛行していたので大体何かしら詠めるものはないかなと考えていて、地球を見た美しさというもの、あるいは無重力の面白さを詠みたかった。

で、二つ作りました。一つは「山々を見下ろしながら思い出す幼き日々の砂場の遊び」。さっき富士山で見ていただいたんですが、下から見るとすごい富士山、すごいエベレスト、そういうものも宇宙から見たら砂場の中で小さい子が作った山のように見えます。そして面白いことに地形というのは、小さい頃に水をザーッと流すと川が流れてデルタができたように、宇宙から見てもデルタの作り、川の流れがそんなふうに見えます。それで「山々を〜」にしようかなと思ったんですが、これは宇宙から地球を見たことのない人だと下の句を作るのがもしかすると大変かなと思って。それでもう一つは無重力を考えていたので、「宙返り何度もできる無重力」というので、みなさんに下の句を付けてもらったんですね。こうしたことは実験がうまくいっていたからできまして、もし実験がうまくいってなかったら、こういうものを考える時間はありませんでした。でももう宇宙に行って以来、ずーっとこのことばかり何にしようかなーと考えていましたから(笑)。初めは宙返りの歌も「宙返り自在にできる無重力」というふうにしたんです。でも「自在」だと小学生にはわからないかなと思って、「宙返り何度もできる無重力」にしました。私が自分でそれに付けた下の句は「着地できないこのもどかしさ」というのですが、何が言いたかったかというと、宙返りっていうのは、地上だったら非常に難しく、体操選手みたいに訓練しないとできない。でも宇宙に行くと、地球上では難しいことが簡単にできてしまう。ところが着地っていうのは、難しいというより、できないわけです。浮いているわけですから、体重を使って下に降りることができない。宇宙での実験というのは、例えば重いものと軽いものが混ざってしまうという面白い面もありますけれど、逆に、じゃ重いものと軽いものを分けてくれと言われた場合に、地球上みたいに濾過とかを使ったりして分けるのが至難の業になるんですね。そういった意味で重力のある環境とない宇宙環境を対比させたかったんですね。
その上の句を出しましたら、公式には14万5千通くらいの下の句が出てきて、いろいろなところでみなさんに使っていただきました。やっぱり歌を作ってくれた人、下の句を作ってくれた人は、その時期だけでも宇宙、無重力、どうなっているのかなとか、そういったことを考えてくださったと思うんですね。自分が面白いと思っていた宇宙を一時期でも一緒に共感できた、それは私にとって忘れられない思い出の一つになっています。

次のスライドお願いします。これは、若田さんは習字がとても上手で、筆を宇宙に持って行って、コーヒーにちょっとしか水を入れないで墨の代わりにして「宇宙」って文字を書いたんですね。

次のスライドお願いします。これは、土井さんが一昨年宇宙で描いた絵です。これはたぶん高等研の研究テーマの一つでやってらっしゃると思いました。高等研の研究報告書を拝見させていただきました。さっき私が言ったように、この絵もこういった状態だと自分がシャトルの中にいるような感じがする。逆さにしてみると、今度は自分が外に出て、外からシャトルを見ているような感じがするとか、横にするとシャトルが遠ざかって行くとか、反対にすると近付いてくるとか、そういった検討をしてくださっているようです。やっぱりそれ、すごく面白いと思うんですね。ここでもう一つご紹介したいのが、私の初めての無重力体験です。それはKC-135という飛行機で、20秒だけの無重力だったんですが、これがすごく面白かった。そのときに思ったことは、無重力の世界では自分の自由軸が一つ増えるということ。私たちは三次元の世界に住んでいるといっても、足が地に着いてますから、上下が決まっているので、平面の世界に住んでいるのと同じなんですね。ところが無重力の世界に行くと、重力と同時に上下というものの考え方がなくなってしまうから、自分で上下というものをひっくり返しても、どういう角度に持っていっても構わない。要するに、位置関係の軸に縦横高さの軸が合わさって、一つ自由度が増える、そういう体験ができます。

そこで私が本当に思ったのは、結局絶対的なものはない、ということ。無重力の世界というのは、例えばボタンを押せばボタンもこちらを押す、ネジを回そうとするとネジの方が止まっていて私がくるくる回る、ドアのノブを回せば、ノブは回らずに私がぐるっと回ってしまう、そういうことがあるわけです。私たちは自分の体重でいつも足が止まっているから、地上でやれば小さい物の方が回るのが当り前、自分がネジを回せばネジが回るのが当り前、ドアのノブを開ければドアのノブが開くのが当り前、そういうふうに固定観念というのかな、もうすでにそういうふうに思っちゃってるんですね。自分が中心で、相手が動く、と思っている。ところが重力のない世界に行くとそうではなくて、どんなに小さなネジであっても、自分とネジとがどういう位置関係でどういうふうに固定されているかで、ネジが回るのではなくて私が回る、ドアノブを回したら自分が回っている、そういうことがある。ですから、何か本当に絶対的なものはなくて、世の中ってすごく相対的に動いているんだなーと思いました。ここら辺は拡大解釈して考えてみると、例えばこれはとてもおいしいとか、美しいとかそういう表現も、何か自分に必ずリファレンス(基準点)があって、何かと比べておいしい、何かと比べて美しい、何かと比べて寒い・暑いなんですね。その何かと比べてという基準が、重力のある場にいる場合とか同じ文化圏に住んでいる場合とかは、大体みんな同じものを持っているんですが、宇宙ではこの基準というものが重力に関しては全くバラバラになってしまう。私が上だと思ったら他の人は床だと思っている、という空間が体験できます。ですから宇宙にまで行かなくても、このKC-135みたいな飛行機で上下のない世界というのを芸術的な才能のある方たちが体験すると、ものすごく面白いクリエイティヴなアイデアが出てくるんじゃないかと私は思います。

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