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向井千秋飛行士1999[5]
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野村:鑑賞、見ることについて、おたずねしてよろしいでしょうか。今のお話聞いていましても、宇宙では非常にお忙しい。もし時間があれば地球を見ているのが、本当に美しく心が和むというふうに言われました。いまさら聞くのは野暮なんですが、美術というのは、作る人と、作られた作品と、また見る人がいて成り立つものだと思うんです。将来、もう少しみなさんが地球を見飽きたりしたときに(笑)、シャトルないしステーションの中で、そういう作られたものを鑑賞したりする余裕や要求が実際に起こるものでしょうか。現時点でとてもあるとは思えないのですが。

向井:絶対に起こると思います。私が行なったのは科学飛行ですが、特に科学飛行というのはものすごく忙しいんです。人工衛星の打ち上げとか、普通の飛行というのは忙しさが少し違うんです。でもロシアの、例えば二年半くらい滞在する宇宙飛行士なんかはかなりの時間があって、地球をゆったり見る余裕があるんですね。
鑑賞ということになるかどうかわからないんですが、ロシアは輸送をしょっちゅうしていて、それにゴキブリが一匹まぎれ込んで、宇宙で見つかったらしいんですね。生きているゴキブリが。ゴキブリなんて地上で見つけたら、私なんてすぐギャーと言って殺すようなものですが、宇宙――彼ら三人くらいで住んでいたわけですけど――にゴキブリが来るとそれはとてもかわいかったと。その乗組員は宇宙に長くいるので、そのゴキブリをペットみたいにして、しばらく大事に飼っていたそうですよ。その後そのゴキブリはどうなったのって聞いたら、次に地球から来た乗組員が、突然ゴキブリを見つけて、「え、ゴキブリがいる」と言ってバチンと殺してしまったそうです(笑)。だから長期滞在でいる人たちは、そういうゴキブリですら――「すら」と言ったらあれですけど――やっぱり愛着が湧いて、鑑賞というか、何か見ていたいという気持ちがあるんじゃないかと思います。
私たちは二週間だったということもありますが、地球もたしかにきれいですけれど、無重力で起こってくるいろんな現象は、見ていても本当に飽きないんですね。特に流体実験とか、植物の根っこがどうなるかとか、そういうものを含めて、人間の観察を必要とするような実験、それはすごく面白い。単にチューブに入っていて、ボンと入れてポンと押すとコンピュータが全部その間やってくれる、そういう実験は気楽なんですけど、それよりはやっぱり、人間が長い時間いて、観察すること、見ることによって、その後の研究のテーマや流れに反映していくようなものの方が面白い実験だったと思います。地球を見るだけでも面白いですが、実験室に閉じこもってそういういろんなことを見ているだけでも面白いです。

池上:非常に面白いお話だったと思います。今いろいろ遊びの話があったんですが、ふと思ったのは、実はこれアメリカ人だから宇宙の開発が成功しつつあるんじゃないかという気がするんですね。彼らは深刻なときでも平気で冗談を言うわけですね。本当にせっぱ詰まったときにも、冗談言いながら対策を考える、そういう姿勢が重要なような気がするんです。向井さんも非常にお忙しい方だと思うんですが、今のお話をお聞きしていましても、見聞きされたことすべてを分析され、理論的にも押さえておられます。かつてはお医者さんということで、人体構造もよくご存知の上でとらえておられる。私が個人的に興味を持っていますのは、先ほど言われたように、人生観というのは個人によって違うということ、あれは決定的な話だと思うんです。その奥のところで、なかなか日本人は今おっしゃっているように個人によって違うという視点にならないと思うんですけれど、アメリカ人というのは多民族の集合で個人のライフスタイルがベースになっています。個人的な動機がベースで、それが人類につながるという発想です。例えばグレン氏が78歳で宇宙へ行く、あれはやっぱり他の国ではできなかったと思うんですよ。それは国家も許さないし。
で、一番の質問は、アメリカ人のチームがどれほど大きな影響力を持ったかということをちょっとお聞きしたいんです。感想という形でも結構です。他の民族との関係でもいいんですが、われわれが今後進めていくチームの作り方のポイントみたいなことですね。先ほどの絶対的なものはないというお話は、中心喪失という視点から捉えられると思うんですが、今、世界全体も日本も中心喪失していると思うんです。社会が非常に大きく拡大していって、地上でさえにどこに中心があるのか、中心となる思想もないような時代です。そういうなかで、先ほどちょっと言いましたように、冗談言いながらでも物事解決できる能力というか、それらが一緒に共存していることの意味についてお伺いしたいのですが。

向井:すごく難しい質問ですね。これは私の独断と偏見ですが、やっぱり宇宙開発のように未知のものに取り組んで行くときにポイントになるのは、自然に対してどう思っているかです。彼らのパイオニア精神的なものを考えてみても、彼らにとってやっぱり自然って闘う相手だと思うんですよ。自然というのは日本人みたいに見て楽しむもの、あるいは自然の中に調和されるというのではなくて、自然を開拓し、闘いながら生きていく、そして宇宙も自然の一つと考えて出て行く。白人至上主義とまでいかないとしても、人間が最高のものであるという考えがかなりあるんじゃないかと私は思います。
宇宙開発では一時期はそういう考えがすごく重要だと思うんですね。ただどんな文化でも、円熟期というのは、そういう考え方――つまり、目的があるからやるということ――だけではやっぱりダメで、さきほど先生がおっしゃったように、芸術というようなものはゆとりのある中から、遊びの気持ちがないとできないんだろうと思うんです。宇宙開発は、六〇年代とか七〇年代の前半は、米ソが国の権威をかけてやっていたわけですが、七〇年代後半から八〇年代には国際協力になってきて、要は、宇宙は一国とか一つの経済域だけではできない。みんなで集まってやらないとできないとわかってきた。それで今は、日本やいろんな国が入ってくる時代になっています。
今回の研究の宇宙環境の人文社会的な利用法というようなアプローチは、たぶんアメリカからは逆に出ないんじゃないかと私は思うんですね。でもこういう考え方は、ソ連からは出る可能性がある。私はソ連のことはよくわかりませんが、例えば宇宙飛行士のことを「アストロノート」というのと「コスモノート」というのだけでも、ちょっと違うような気がするんですね。「アストロノート」というイメージから私が感じるのは、何らかの目的があって何かチャレンジしながら新しいものをめざすというか、わりと狭い意味での宇宙開発的な意味がある。それに対して「コスモノート」というのは、宇宙という意味の「コスモス」が非常に広い森羅万象を指しているからそう感じちゃうのかもしれませんが、ロシアの宇宙飛行士何人かと話してみると、彼らの考え方は、もう少し精神、心理、文化といったものがベースに入っているような発言をしているように思います。そういう意味で、私は日本がJEMを使ってこういう人文社会的な利用法というのを研究していくのはすばらしい企画で、他の国ではたぶんやらない。日本がやっていけば他の国もやるかもしれないけど、アメリカはたぶんやらないと思います。偏見かもしれませんが。

中川:向井さんは先ほど流体の観察ということをおっしゃいましたが、観察というと見ることが中心になると思うんですね。私の専門は音楽の方なので、二つお伺いしたいんですが。一つは、聴覚――聴くことに焦点をあてた実験があるのかということ。もう一つは、イメージ的なんですが、例えば黒ということをおっしゃいましたが、聴覚的に言えばサイレンス、沈黙というか、地球にはなかなか本当の意味での沈黙ってないんですが、ひょっとしたら宇宙に行くと、沈黙とかサイレンスの研究ができるんじゃないかと思うんです。その辺いかがでしょう。

向井:音に関する研究は、私が知っている範囲では、人間を使った研究はたぶんなかったと思います。耳といっても、いわゆる耳石、つまり宇宙で平衡感覚がどうかという研究はあるんですが、私たち飛行機に乗りながら生活し仕事している状態なんで、音が聞えるか聞えないか、という研究は、えー、すみません、ちょっと調べてみます。
もう一つ、先生のおっしゃった沈黙ということなんですが、私は逆に何でこの宇宙ステーションが面白いかというと、重力に関しても沈黙の場が得られるからなんですよ。音だったら、私たち医学でよく聴覚試験なんてやりますでしょう。本当に音がどのくらい聞えるかどうかを調べたりするときは、すごく静かな部屋でないとできないですよね。視覚試験だったら真っ暗な暗室がないとできない。それと同じように、地球上に住んでいるわれわれのことをよく調べたり、地球で起こっている物理現象とかを調べるには、やっぱりどうしても重力のないところでやらない限り――ここでは重力に関する沈黙ですよね――絶対わからないです。
宇宙ステーションに行くと、既存の重力レベルがまずゼロにできる。そうすると遠心力を組み合わせることによって、どういう重力レベルもできてしまう。0.2Gでも、0.3Gでも、何Gでも。それは研究でも面白いし、将来実用で使うなら、0.5Gだったらハンディキャップにならずに動ける、そういう人たちが地球上にたくさんいるわけですよね。マラソンで酸素が多いか少ないかということで高地療法をしたり、あるいは年を取ってきたから温暖な所に住みたい。それと同じように、将来はすごく大きなのをスペースコロニーとか作って、回すことによって中心は0G、辺縁に行くと1.2Gくらいになるようなものを作っておけば、リハビリテーションで自分の選んだ重力レベルで生活ができる。自分に必要な重力レベルで研究もできる。今までできなかったことですが、重力というものが、自分の研究の可変のパラメーターになってくる。私は、それが宇宙ステーションの最大の魅力だと思うんですよ。
音に関しての沈黙、あるいは色に関しての沈黙というのは、私はそこらへんが専門じゃないのでうまく答えられませんが、重力に関しての沈黙ということで言えば、すごく面白いものだと思います。
あの、宇宙の黒はこういう色じゃないです。これ、光ってますね。これを黒って認識するのは、やっぱりここから反射した光を感じるから黒なんですよね。こういう黒じゃないんですね。

井口:音のない世界についてはどうだろうかということについては、・・・どうぞ正木さん。

正木:三つ質問がございまして、最初は私の個人的観点に近いのでお答えいただく必要はございません。先ほどから重力という問題がさかんに出ておりますけれども、私が専門的にやっております八世紀以降の仏教、あるいは密教世界、あるいはチベットもそうなんですが、重力から脱しようという非常に熾烈な志向がございまして、ヨーガを成就すると浮くというんですね。これは実は仏典には二千年くらい前からあるんです。人間が成就する、解脱すると浮くんだというんです。ですから、麻原たちもさかんに浮こうと必死の努力をしたわけです。あるいは浄土へ行くときも、西方極楽浄土から雲に乗って無重力状態で阿弥陀さんが迎えに来てくれて、その雲に乗って極楽世界に行く。どうも人間は無重力に無限の憧れを持っていて、ようやくここに来てそれが成就したわけですね。そう言った意味では、一種の宗教的見方をすれば、宇宙飛行士の方々は成就者の境地に立たれたかなと(笑)。

向井:(笑)その代り沈めないんですよ。浮くのは簡単ですけど、着地できないから。

正木:でも、私たちも、無重力で一体人間の精神に何が変容してくるのか、あるいはさっきおっしゃったように、それは単なるきっかけであってほとんど変わらないのか、個人的には非常に体験してみたいと思っています。
次にここから質問になるんですが、土井さんに以前お話を伺ったときに、就寝中にご自分の意識が目の奥の脳の中心辺りに一点集中して、何かプレゼンスというんですか、宇宙存在と向かい合うような気持ちで非常に気持ちがよかったと。宇宙とじかに向かい合っている、あるいは自分が宇宙の只中にいるという感覚があったとおっしゃっているんですが、向井さんはそういう感覚はございましたでしょうか。

向井:私、非常にプラティカルで、目を閉じるとすぐに寝ちゃうという人間で(笑)。たぶんそういう感覚は、水に浮かんでいるときに感じるものに近いように思います。私はアメリカにいたとき、仕事に疲れたら、よく毎日泳いでいたんですね。好きなのは泳いでるだけじゃなくて、大の字になって水の中に浮かんで、目つぶったりしてると、ものすごく解き放れたような感じしますよね。そういう感じはするんだけど、寝たときに宇宙の只中にいるっていう感覚はなかった。確かに宇宙っていうのは、水の上に浮かんだときに水圧がないようなものですから、もっと気持ちいいんですよね。たぶん、土井さんはそういうふうに感じたんじゃないでしょうか。

正木:国立民族学博物館の研究会で、フローティングタンクの中に浮かぶと人間の心身がどんなふうに反応するかということを研究している会があったんですが、やはりある種の心身症の人に非常に効果的だというんですね。先ほど0.6Gだと体に障害のある方にもいいという話が出ましたけれど、ひょっとしたら精神や心身を病んだ方が、宇宙空間で無重力状態の中にある一定期間いることで回復する可能性があるんじゃないか。私は実は精神科医の先生とそういうものにもいろいろ取り組んでいるんですけれど、今後、費用の問題もありますが、心身症その他の治療の中で無重力が使えると、ひょっとしたら何か新しい治療法が出るかなという気がしております。
最後に質問が一つございます。お話伺っていても、みなさんそうなんですが、土井さんも毛利さんもお人柄が明るくて明晰で、はっきり申し上げて要するに「いい人たち」っていうふうに見えちゃうんです。そうなると邪な心を持ったというか、性格がひねくれたような人間というのは、やっぱり現時点では宇宙空間に行くと危険というか、そういう人間は選ばれないんでしょうか(笑)。

向井:(笑)そんなことないと思います。例えばNASAの宇宙飛行士っていうのは170人くらい訓練しています。その中で、土井さん、私、毛利さん、三人同期生なんですけど、性格は全然違うんです。毛利さん非常にしっかりとしたいいお兄さんだし、土井さんは夢見る弟で、私はよくみんなから「頑張り姉ちゃん」みたいなこと言われて(笑)、うるさい感じのお姉さんって感じだったんですけれども。170人もいると、やっぱりいろんな人がいます。私はそれでいいんだと思うんですよね。
多様化が認められる世界というのは非常に円熟した世界だと思います。同じような人が同じことを考えている組織より、多様化した人たちがお互いの違いから勉強し合っている組織の方が、何というのかな、緊急事態とかになったときに危機管理に強いと思う。さっきのグレンさんの話に戻りますが、グレンさんが飛べたというのは、アメリカのチャレンジ精神だけじゃなく、ハンディキャップの人も含めて多様な人を受け入れる成熟度が高い社会だからじゃないかと思いました。日本だったら、77歳の年寄りが飛ぶって言ったら年寄りの冷や水で終わったかもしれないですね。

宮永:先ほど向井さんが「レースを纏った貴婦人のよう」という地球の姿と視点にとても感動しました。画像を通して共感しました。
お伺いしたいことは、宇宙では筋力というものがどのくらい必要なのか。地球では、私たちは足を使って歩いていますけど、宇宙で移動するのに必要な力というのはどのくらいのものなのか。また、どういう場所の筋肉が働くと推進力になるのでしょうか?

向井:歩くためには、一歩踏み出したら次の足が地上に着かないと歩けないですよね。同じことを宇宙でやると、一歩踏み出すと、ベクトルが両方を向いて踏み出すわけですから、体がそのまま飛んでいってしまって、体重を使って降りてこないから、次の足は次に蹴ろうとする場所に着かない。だから歩くっていう動作は、宇宙――重力のない所では成り立たない。滑るとか転ぶとかそういうこともない。動くのであれば、どっちかというと、壁をちょっと押す。もうそれだけで十分ですね。

宮永:それでは足は当然もう足としての用を成さなくなって、手とか何か他の体の部分を・・・

向井:そうですね。重力使って手で押して、足で蹴飛ばして空間を行くときもありますけど。足とか手は、行きすぎたときにどこかにつかまえて止めるとか、そういうふうに使ってます。足は慣性力を使ったりして方向転換したりするときなんかに使います。でも、基本は足かな。
私、二週間宇宙にいて、帰ってきて翌日健康検査のためNASAに行こうとして、そのときはまだ平衡感覚が駄目だから自分で車を運転してはいけないと言われてて、迎えが来たんですね。どうぞ乗ってくださいって、乗ろうと思ったら、宇宙のつもりでこうしてふわっと入ろうとして(笑)。人間は普通、目つぶってても、こういうふうに体が斜めになると、転ばないように反射で必ず足が出るんですけど、その反射がなかった。で、一回目はそのままバタッと倒れて。ああそうか、ここは足を使わなきゃ駄目だと(笑)。それでも、だいたい人間はすごく適応能力がありますから、二回目からはもう足を出さなきゃなんて思わなくても足が出るんですね。

宮永:今の宇宙船の中は極めて小さい空間ですが、もう少し巨大な空間になると移動方法はどういうふうに変わると思われますか?

向井:移動はやっぱり、どこかを蹴るか押すかして、そっちの方向に向かって行って、手とか足とかをキュッと動かすことによって方向転換するというふうに、どこかを触って動く移動の仕方だと思います。
それと船外活動なんかでよく綱が吊ってあって、綱を手繰って体を移動したり、命綱のないような船外活動だと、ちっちゃなジェットエンジンを持って動くのがあります。空中に浮かんで泳いだとしても、空気抵抗がないから前に行けないわけですよ。

宮永:では、すべての筋力が衰えるというか、後退するというようなことになるのでしょうか。

向井:いや、そんなことないと思います。たとえば私、面白いことに、一番初めに宇宙に行ったときに、一日目はすごく仕事して疲れて首がものすごく痛くなったんです。何でこんなに疲れるんだろうと思ったんですけど、何が違うのかは、翌日わかったんです。それは、地上では重力があるから、一番楽な姿勢ってこういう姿勢でしょ。だから物を書くときは、腕は机の上にかかるくらいの位置になっている。ところが、お風呂で浮いたりプールで浮くととわかるように、重力がない状態になると、こういう形がニュートラル・ポジションです(ポーズする)。つまり、動くときに筋肉は収縮と弛緩をやっているわけですが、地上では重力があるから、重力分を加算して収縮弛緩している。重力がなくなってしまうと、結局はこういう位置が一番楽。で、頭の位置はこうじゃない。私の脳みそは少し重くて、地上にいると頭の重さで少しこうなっている。だから下を向いて書くのが楽なんですね。ところが、宇宙に行くと頭の重さがなくなるから、首の筋肉はどちらを使うかというとこちら側で、これがニュートラルポジションになります。この位置が一番楽で、だから、長時間の作業はこの一番楽な位置でするのが楽なわけです。私、一日目は、パネルを全部チェックしたりするのも、すべて自分の目を地上で訓練した位置に持って行って、物を書いてやったんですね。二日目からはそれがわかったから、もう全部、自分が逆に下がって、こういう位置で見たときにパネルがよく見えるように、ものを書くときは、こういう位置で書いたら書けるという位置に体を持っていった。そしたら、もう首の痛みとかなくなりました。
地球上では、手の上げ下ろし、箸の上げ下ろしだけでも、やっぱり重力に抗して筋肉は運動しているわけですよ。それと同じで、宇宙に行くと、今度は逆の今まで使ってない筋肉を使うから、私は全部の筋肉が同じように退化するとは思わないです。

井上:すごく面白いお話です。特に感心しましたのは、基本的に楽しむという姿勢でおられるので、観察がすごく感覚的に深いと感じました。「例えば…」「例えば…」というときに言われる比喩が非常にわかりやすい。以前に土井さんとお話したときに、何とか向井さんが伝えようとされておられるようなことを聞き出そうとして、あの手この手で質問したんですけど、鉄人のような方で(笑)、何をおたずねしても、公明正大というか客観的な答えしか返ってこなかったです。

向井:私は独断と偏見ですから(笑)。

井上:いえいえ、こういう話を積み重ねて行くと、宇宙での具体的なことがいろいろわかってくると思います。質問に対して、「実はこんなことありましたよ」っていうことをたくさんおっしゃしましたよね。その「実はね…」という、記録にも残っていないたくさんのことが、われわれにとってはじつに大切な情報だということがはっきりしました。たとえば姿勢ですが、土井さんに絵をどういう姿勢で描いたかということを伺ったときに、今のお話とちょうどまったく逆に、土井さんは地上で描いている状態が宇宙空間でも可能であることを証明するために、体を固定してこうやって折り曲げて、しっかりと地上と同じような状況を作り出して絵を描かれたんですね。上の方に円が浮かぶということを表現してくださいとお願いしたんですが、今のお話を聞くと、姿勢や紙の位置によって、上下の表現というのもたぶんきっと違った結果が出てくるかもしれないなと思いました。今後、宇宙での実験を計画するときも、私たちが考えるプログラムが宇宙飛行士の方にちゃんと伝わって、楽しくやっていただけるのでなければ、望む成果は得られないなと感じました。
それで質問なんですが、土井さんが飛行する前に、芸術実験のプログラムみたなものを考えてくださいと言われたときに、NASDAの方を通じて、こんなものを持って行きたい、あんなものを持って行きたいというやり取りをしたんです。でもそのときは打ち上げが一ヶ月くらい先に迫っていて、もう何も宇宙に持っていけない。NASAの方で持っていくものを全部決めて管理しているんですね。例えば今後、こういう実験をしたいからこんなものを持って上がってほしいというときに、NASAが管理している以上、それは不可能なのか、それともNASAのチェックを少し外れたところで何か持って上がることが可能なんでしょうか?

向井:実験をどういうふうに組み立てるかによると思うんですね。やっぱり初めのペイロードで正式に積み上げて行く場合は、かなり厳しく安全審査とかいろんなものがあって。でも例えば若田さんがお習字なんか書いてるでしょ。あれは、既存のコーヒーの粉を使って書いたりしてるわけなので、ものによると思うんですが。

井上:あの行為は無許可ですよね?

向井:ああ、あれは無許可。

井上:いきなりやっているんですよね。遊びなどは、こんなことをするぞなんて言わないでもできますよね(笑)。

向井:それはもう遊びなんかはぜんぜん無許可です。さっきの土井さんの話ですが、やっぱり実験をやるなら、地上と同じような姿勢で描かせた場合と、天井からぶら下がって描いた場合と、床とか壁から出て描いた場合など、たぶん上下感覚は画面の外側に見えるものとの関係で違ってくると思うんですよ。
私たちが遊びでよくやるのは、ひっくり返って天井を床として考える。それで後ろを向いて、A8のロッカーはどこってポインティングさせるの。そうすると当たらないんですよ。逆転されたときに、既存のロッカーがいっぱいありますから、何がどこにしまってあるっていうと、こっちだ、いや違うこっちだよ、と、そういう遊びはすごく面白いからしょっちゅうやるんですよね。だから実験でもそういう遊びの要素のあるものがいいですね。一番いいのは、物をわざわざ宇宙に何かを持って行かなくてもよくて、シャトルの中にある既存のものを使って何かできること、なおかつ映像を上から流してもらってできるとか、そういうリソースを使わないっていうのは、非常に簡単にできます。あとは、飛行士がそれを面白いと思ってやるかです。面白いとちょっと他の飛行士も連れて来てやる。そういうのがいいですね。

尾登:僕は閉鎖空間というのが、やっぱり長期滞在になったときに大きいんじゃないかと思うんですね。やっぱりシャトルの中は限定空間であり閉鎖空間である、そういう中でいかに人間が長期滞在するかということになると、物理的な空間のスケールが問題になってきますね。無重力であるんだけれど、物理的な空間は決して無限ではなくて、非常に狭い。今回だけじゃなくて、向井さんの経験の中で、その限定空間の中で実験されたということで、広さに対してどう感じられたでしょうか?

向井:幸運なことに、私が滞在したときはいつも後ろに実験室が付いていたので、普通の飛行よりは広かったんですね。それと、広いとか狭いというのは、絶対的なものもあるかもしれないんですけど、やっぱり自分の何かの基準と比べてどうかという話になると、自分が東京で住んでいる狭いアパートとシャトルを比べてみると、非常に使い勝手というか、ボリューム的には広いんですね。
アメリカ人みたいにあんな広い所に住んでいて、家具を買うときもわざと大きいもので部屋を埋めようという考え方の人たちと、私たちみたいに極力コンパクトで邪魔にならないような家具を選ぼうという人たちとは、たぶん広さの感覚も違うと思う。どこまでが広くてどこまでが狭いと感じるかは、例えば地球だってそういうふうに見てみると、結局地球はものすごく限られた空間で、われわれここでしか生きられないわけですよね。地球の空気がなくなったら全然生きられない。そういう息苦しさっていうのはやっぱり同じなんじゃないかな、という気もします。

佐藤:先ほど音の話が出ましたけど、時間スケールの話が興味ある。最近、阪大のある先生から、人間が心地よい間の取り方とか、音や音楽の旋律というのは、人間の心臓の鼓動とか息の呼吸とかと関係があるという話を聞いたんです。先ほど向井さんが、流体の変動を見ていて飽きないといわれましたが、それは、いろいろな時間スケールがあったときにそれに気が惹かれるということだ思うんです。たぶん時間間隔と人間の相性というか、人間に心地よいタイムスケールというのがあると思うんですね。これが地上では僕はやっぱり自然界での波の変動とかで決まっている、そしてそういう自然現象には重力が絡んでいますよね。だから重力が絡んで心地よい時間間隔が決まっている、それがわれわれの体に組み込まれていて、変化するものに気を惹かれる、あまり早いものとかあまり遅いものは気を惹かないとかいうのがある。先ほど宇宙にオブジェを置く必要があるかどうかという話がありましたが、いろいろなタイムスケールの何か流体的なものを作っておいて、どれが一番気を惹いたかを調べたら面白いんじゃないでしょうか。

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