ビジュツ・ハクブツ・カンについての二、三の質問
井上明彦
なにぶん不勉強で申しわけございません。美術史学会員でも学芸員でもない私にはわからないことだらけです。質問も混乱していると思いますが、どうかお教え下されば幸いです。
(1)美術−美術史−美術館の関係について:
ある西洋の学者が「美学や美術史、美術館をつくりだすことによって、あるモノを芸術作品とし、文化遺産というものを基礎づけたのは、われわれ西洋人だ」と言いました。また別の学者は、「西洋人にとっての芸術の空間とは何よりも美術館だ。すなわち西洋文化においては芸術作品とは現実ないし潜在的に美術館の中にその場所をもつもののことである」と言いました。これらは正しいですか? 西洋以外、例えばこの国では美術の空間はどこにあるのですか? 美術は美術史に登録されるために存在し、美術館はその登録所なのですか? 創造的なものつくりの技術はいっぱいありますが、なぜ美術だけ特別なのですか?
(2)美術史と他分野の関係について:
美術史学会は会員の三分の一が学芸員だそうですが、学芸員の中には美術史学会員ではない人、例えば美術家だったりデザイナーだったり教育者だったりする人もいますね。美術史の空間としての美術館ではそういう人は肩身がせまいのですか? また、美術史の人と考古学や歴史学の人は一般に折り合いが悪いと聞きます。双方とも人間の「つくる」という営みにかかわるのに、美術史の人は美術史的価値をもつもの以外に興味がなく、考古・歴史の人は美術が嫌いなのですか? ちなみに芦屋市立美術博物館は、「具体」の作品収集のことばかり言われますが、ユニークな美術教育活動や、美術部門と博物部門の連携は評価されていないのですか?
(3)なぜ根づかないのか:
創造的な芸術や文化が社会的な価値をもつかどうかを判断し、それをバックアップするのは、それに携わる現場の人間ではなく(彼らは自分の仕事で精いっぱいです)、社会を動かす政界やお役所のエライ人だと思います。社会教育法にも文化的環境の醸成は国や地方公共団体の「任務」だと書かれているそうですが、なぜこの国のエライ人たちは創造的な芸術や文化が嫌いなのですか? 社会の役に立たないからですか? 小さいころから身近に接していないからですか?
井上明彦(いのうえ あきひこ)1955年生まれ。京都大学大学院博士課程中退。京都市立芸術大学美術学部助教授。専門:造形計画。最近の主な作品/プロジェクトに《大佐町・光の記憶》(2000)、《新開地アートブックプロジェクト》(2003)など。主な著書に『モダニズムの越境3―表象からの越境』(共著、2002)など。
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