onmuseum_logo_b.gif s.gif ■補遺二点
(後日、求めに応じて学会誌の『美術史』に提出したレジュメです。シンポジウムでの井上の発言の補足です。)
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■シンポジウム概要

■井上明彦のレジュメ

■アンケート依頼文

■アンケートへの回答
(50音順、敬称略)

石原友明

今村 源

扇 千花

大山幸子

児玉靖枝

椎原 保

夏池 篤

ひろいのぶこ

藤 浩志

三嶽伊紗

森下明彦

山部泰司

渡辺信明


■法的問題について
(藤浩志氏から)

■補遺二点

■芦屋市立美術博物館を考えるワーキンググループ

■井上への問い合わせ



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補遺二点

井上明彦

シンポジウムでは、美術館のあり方や学芸員の役割に対する美術家たちの意見を紹介し、つくり手の声を議論に反映させることを自分の役割とした。

以下は当日の自分の拙い陳述の補遺である。

第一に、美術作品や文化遺産も含めて、人間が決める価値決定に絶対的な根拠はない。人間は蜘蛛が虚空に巣を張るように、慣習と契約・学習からなるネットワークを張って生きている。「価値」はこのネットワークの中で生まれ、変容し、伝わっていくが、ネットが変われば物の価値も見え方も変わる。例えば西洋的な人間中心主義の価値の網目で規定された「文化遺産」は、別の網目、例えばある宗教的世界の住人にとっては破壊の対象となりうる。異なるネットのあいだに共有基盤はない。ネットワークは自然の中に根ざしたものではなく、人間の集団生活によって織り上げられたもの、恣意的かつ規約的なものでしかない。しかしネットの中に生きている人間には、価値は自然的所与に見える。「芸術作品」にせよ「文化遺産」にせよ、それら自身に価値が内在していると錯覚されるのはそのためである。美術館・博物館は、それらの集積から人類や国民文化の「アイデンティティ」を仮構する機構として生まれた。真の歴史感覚とは、この価値のネットワークが奈落の上に張られたものであること、われわれの知覚と同様、芸術も学問も徹底的に歴史的社会的な構成物であることを忘れないものをいう。

第二に、美術史も美術館も、人間が自らの生活世界を形成する造形活動の所産の一部を他から分離移動させ、特権的時空に囲い込むことによって成立した。美術館制度の確立期に、美術館は芸術を本来の場所や用途から切り離し、その政治的社会的機能を奪うと訴えたカトルメール・ド・カンシーの建白書(1815)は、美術館学芸員の基本必読文献である。地域社会に創造力を還流させるシステムとして再定義されるべき美術館博物館に今問われているのは、この分離をいかに乗り越えるかにほかならないからだ。


Quatreme`re De Quancy, Conside´rations morales sur la destination des ouvrages de l'art, 1815, Librairie Arthe`me Fayard, 1989

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